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20.
睦月の冷たい空気も、一年の事始めには丁度よくピリリと気持ちいい。
その上、今日の空は初釜式にぴったりの快晴だった。
私に晴れ着を着付ける西門家の仕え人は、一つ一つ丁寧に肌襦袢の上を美しく創り上げていく。
壁には、家元夫人からお借りする見事な振袖が余すところなく衣文掛けに掛けられ、着物として人目に触れる瞬間を心待ちにしているかのようだ。
ううん、それは、今の私の心境・・・初めて着る振袖にワクワク心躍っている。
美しい手描き京友禅の振袖は、光沢のある水色に白い柳が垂れ下がり、小梅と松が濃淡の藍色と落ち着きある小豆色で染められ、
大きな花笠が深い銀杏色と金糸目で華麗に描かれてとても素敵なもの。
西門さんのお母様は、袖柄と身柄の調和が気に入って、振袖のままずっと残されていたらしい。
想い出のある物を私なんかに快く貸してくださるのは何故なのか尋ねそうになった。
「着物を作る工程には美の心がいっぱい詰まってるの。たくさんの熟練職人さんが作ってくれた芸術品を、箪笥にしまい込んでちゃ、生まれてきた甲斐ないじゃない。
着物はどれも、人に着てもらい、たくさんの人に見てもらいたがってるのよ。
・・・そう言ってるように見えないこと?」
西門家に嫁ぎ、三人の息子を生み育てながら、家元夫人として陰日なたで力強く生きている一人の女性の豊かな感性に触れ、年の功だけでない大きな存在感を感じた。
無表情でサクサク話す口調は、母親らしいとは言い難い。
けれど、無駄のない言葉の中に、西門の家で培われた自信と芸術品を正しく鑑賞する気高さが含まれている。
西門さんは、お母様似なんだ・・・。
お母様譲りの整った顔立ちに加え、溢れ出る美術品への執着と強い愛情。
生身の人間に対してはめったに注がれることのない慈愛に満ちた眼差し・・・。
西門さんが、ギャラリーで清水焼茶碗を見つめていた横顔と重なる。
お母様も少し不器用なだけで、根は優しい人にちがいない。
茶道西門流の初釜式ともなると、海外を含め全国から縁のある招待客や西門流分家、また多くの師弟が出入りする大きな行事。
今日は着付けの手配まで心配してもらった上、末端もいいとこの弟子でありながら、勉強のためと今生庵への席入りを許されている。
友達と紹介されただけで、格別の待遇を受けていいのかな・・・?
考え事をしている間に、スルスルと帯の間を通る帯締めの音が聞こえた。
仕上がりが近いことを知り、自然に顔がほころんでくる。
「お嬢さん、とてもきれいですよ・・・。さあ、いってらっしゃい。」
「どうもありがとうございました。」
手際よく着付けてくださった人にお礼を言って、障子の外に歩みを進めた。
大きく一呼吸。
さて、西門さんはどこにいるのだろう・・・?
自ずと着物姿の男性を探している私。
忙しくしているのだろうか?
会えるのかな。
今日は立場上、私なんかとゆっくり雑談もできないだろうけど。
この姿を、なんて言うだろう・・・?
また、からかう?
あの涼しげな目元が緩むのを見てみたいと思った。
西門家の長い廊下ですれ違った人々も庭を歩く集団も、みんな華やかな晴れ着に包まれて、年始の祝いムードいっぱいだ。
改めて、西門さんのお母様には感謝。
スーツで来なくてよかったと思う。
寄付(よりつき)でしばらく時を過ごし、外露地の腰掛で亭主の迎え付けを待った。
やって来たのは、こげ茶の正絹に身を包んだ周くんだった。
私と目が合うと、目を細め、にこやかに微笑んでくれた周くんの着物姿。
摘み取ったばかりの茶葉のように爽やかで、それはそれでとても似合っている。
黙礼後、いよいよ今生(こんじょう)庵に席入りする。
床の間には、長い柳が床まで垂れ下がり、黒い墨で何やら書かれた掛け軸が飾られているけど、読めず早々あきらめた。
西門流にとっては、いわば聖域のような場所であり、私のような下っ端には恐れ多い場所。
そこは、意外に地味な印象の場所だった。
いつもの間にか黒い紋付を羽織って現れた周くんは、挨拶の口上を述べ、濃茶を点て始める。
その所作は、遊びがなく切れがあるのに、決して荒っぽいわけでもなく、とてもしなやかで、思わず息をひそめて見つめてしまう。
『やっぱり、普通と違うわ・・・。』
西門さんといい、周くんといい、どうしてこうも魅せる所作が出来るの。
音もなく、柄杓を手に取り炉からお湯をくみ上げる。
のぞいた白い腕は、いつかビストロで見た茶室が似合いそうな腕で、茶室というパズルにぴったり合う。
力強く茶筅で練り上げた濃茶をいただいた後の問答、正客が尋ねた茶の銘や詰にもすらすら答える周くんは、立派な亭主の雰囲気をまとっている。
進と同じ大学で多くの時間、研究に勤しんでいる学生でありながら、西門家の人間として役目を果たし、茶道への思いも真剣であると見て取れた。
西門か研究か・・・選ぶ苦悩を思うと、終わりのないスパイラルに紛れ込んでしまい胸が苦しくなる。
『力になれるものなら、なってあげたい。けど、当たり障りないアドバイスしかしてあげられっこないよ。』
私は亭主の見送りを受け、近い未来、周くんが下す選択を思案しながら今生庵を後にした。
「牧野さん・・・。」
万両の赤い実に目を留めていると、周くんが後ろから声をかけてきた。
そして、耳元に顔を近づけ小声で話す。
「牧野さんの着物姿、すっごくきれいです。
僕の点てたお茶を飲んでる牧野さん、色っぽくてゾクゾクしちゃいましたよ。」
「はい?色っぽい?」
「/// ホント、目のやり場に困りました・・・ハハハ。」
「///あ・ありがとう・・・。
周くんの方こそ、すごいじゃない。
立派過ぎて、感心してたんだから。」
「本当なら、嬉しいな~。
今度は、牧野さんが点てるのを見せてください。
例の茶碗で点てたいですね、・・・近いうちに。」
「でも、採点なんかしないでよ。」
「僕は牧野さんの先生じゃないですから・・・。じゃ、約束ですよ!」
人懐っこい笑顔を浮かべ手を振りながら、周くんは再び今生庵へと戻っていった。
今年の初釜は、天候に恵まれ足元の心配要らずでありがたい。
俺は、時期西門流家元として初釜の期間中、賓客の接待を任されている。
年始のお稽古始めでもある初釜式は、嫁入り前の娘から孫がいそうな年寄りまで、皆、それぞれ晴れ着に身を包み、
屋敷では協奏曲を具現化したように色と色が競演する。毎年、これを見て、新しい年を迎えた気分になり、俺にとっちゃ恒例正月行事みたいなもんだ。
第一席の賓客を今生庵から送り出した後も、庭木の説明や世間話でもてなしていた。
今日は、牧野が第二席の濃茶で今生庵に入る予定のはずだ。
牧野のことは、おふくろに頼んでおいたから、大丈夫のはず。
承諾したからには、きちんとやる人だから任せた。
それに、牧野の世話を焼く時、言葉に出さなくても楽しんでるのが俺にはわかる。
牧野の人徳なのだろうか、なんせあいつのことだからな・・・。
それでも、牧野はちゃんと来ているかと廊下に目を向けると、吸い寄せられるように一点に釘付けになった。
色とりどりの錦鯉(にしきごい)の中を、水色に光る一匹の美しい鯉が泳ぐように、あいつはそこにいた。
目立つほどに美しいことを知る由もなく、一際輝く光を纏い、キョロキョロしながら泳いでいる。
『結構、きれいじゃないか・・・。』
できれば、この場を抜け出しあいつの近くに行って、あいつの大きな瞳をのぞきこみたかった。
あいつと言葉を交わし、声を聞いて、またからかって、クルクル変る表情を眺めるのもいい。
時期家元の立場を放り出し、あいつの側でこの祝いを楽しむのもいい。
そして、小さな手を取りそのまま抜け出すのもいいかと・・・。
あいつの口から出る文句を、からかい半分キスで塞ぐのもいいかもしれない。
それくらいのお年玉をもらってもいいんじゃないか、俺。
真っ赤になるあいつには、何とでも言って、ややこしく考えさせない自信はある。
あいつの操縦くらい朝飯前。
今さら、無理矢理こっちに振り向かせようなど、思ってどうする。
類ではないが、今のままでも十分楽しんでる。
男女の肉体関係を夢見て夢精する程ガキでもない。
師弟の関係もまんざらじゃねえんだな、これが・・・。
牧野の信頼を失うリスクを背負うより、ずっと宙ぶらりんのままでいいか。
ふざけたキス、今の俺のラインはそこまで。
そこから先は、さすがに腹くくらないとな。
司、お前はこのまま黙っているつもりか。
牧野が欲しくてたまらなかったんだろうが。
あいつは、ますます輝いていくぞ・・・。
動くなら早くしてくれ、じゃないとこの先、類も俺も、遠慮しなくなるぜ。
男と女、何が起こっても不思議じゃない。
美しく輝くものは、狙われる運命だ。
俺の現実は、客を放り出すわけにもいかず、水色の鯉がいきいき泳ぐ姿を見えなくなるまで目で追い続けた。
第二席の亭主は、周か・・・。
ここしばらくあいつの亭主ぶりを見てないが、評判がいいらしい。
茶の筋がいいだけに学問との選択に揺れるだろうが、学生の間、じっくり将来を考えればいい。
選択の時間が与えられるだけ、恵まれてることに気付いてるのか。
どう過ごすかは、あいつ次第。
牧野と関わって、周も一皮剥けるか・・・なんせ、あの牧野だからな・・・ククッ。
結局、最後の客を見送った時には、既に牧野はいなかった。
ダイニングテーブルで一息ついていると、周が着物姿でやってきた。
「おう、周、久しぶりだな。」
「総兄さんも。元気?」
「まあ、ここ座れ。お前も疲れただろうが・・・。」
俺は、牧野の様子が知りたくて周を引き止めた。
「牧野、来てただろ?あいつ、ヘマしてなかったか?」
「きれいな所作だったよ・・・
総兄、ちゃんと先生してるんだ。」
「何?茶室で、いちゃついてるとでも思ってたのか?」
「でも、牧野さん、なんだかいいよね~。
道明寺さんと別れたって言ってたけど、今、誰ともつき合ってないんでしょ?」
「そうじゃねえの?どうみても、男っ気ねえし・・・。」
「俺、道明寺さんが牧野さんを好きになったの、わかるよ。」
「あいつ、既成概念が当てはまらないとんでもない奴だろ?」
「だから、もっともっと知りたくなるんじゃん。」
「チッ、ガキのくせに生意気なこと言うな。」
何も言い返さず、素直にムスッとする周は永遠に弟キャラのはずだった。
俺は、周の存在を軽く見過ぎていたかもしれない。
いつまでも俺の後ろを付いてまわるチビではないというのに・・・。
周が、俺に火をつけることになるとは思いもよらなかった。
つづく
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