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32.
人々が行き交う夕刻なれど、都会に位置するとは思えない程、圧倒的な静けさがここにはある。
白い足袋は、足音を消しながら、お稽古部屋へとプログラムされたように身体を運んでいく。
これからお茶を習うという気構えが、不思議と次第に湧き起こってくる西門家の長い廊下は、いつものように滑らかな光沢を見せている。
「牧野です。失礼します。」
膝をつき、両手を添えて障子を開けると、やはりいた。
「おっ、牧野。」
西門さんは、長い火箸を使って炉火(ろび)の具合を見ていた。
濃紺の着物に薄土褐色の男帯をして、ちらりとこちらを見てすぐ、視線を炉火に戻した。
稽古中は、師と弟子の緊張感を忘れないよう、常々肝に銘じて過ごしている私は、障子をカタリと閉めると、
早速、両指を付いて挨拶する。
そろりと顔を上げると、西門さんがこちらを見つめていた。
一瞬の間に、その日のこちらの体勢を見極めようとしているかの様に。
スノウボードをしたばかりの身体は、まだ筋肉のどこかしらが、熱を持っている感じだった。
何か言われるかと、こちらも見つめ返した。
「始めよう・・・。」
静かな低い声が、茶室に響く。
西門流が長い年月をかけて順序立てた段取り通り、足運び・指使いにも気を配り、お茶を点てて行く。
時計の針も刻む速度を遅くして、ひたすらお湯の滾(たぎ)る時空に寄り添う。
後半、いよいよお茶碗にお湯を注ぐ。
軽く背を伸ばし、時折シューっと鳴る炉のお湯を柄杓で一掬いし、白い湯気そのまま茶碗の上へチロチロ落としていくと、初めて口にするものとなる。
茶筅でシャカシャカかき混ぜると、まるで笹林の中心に佇んでいるかの様に、黄緑色した心地いい音に包まれ、この上なく和む、この一瞬が大好きだ。
そして、西門さんに点てたばかりのお茶を差し出すと、
その長い指で受け取り、自席へ下がる西門さんはそこで大きく頷いた。
今日のお稽古は、西門さんはそこまで。
私に席を譲り、代わりに私がお茶をいただく。
自分が点てたお茶を「結構なお点前でした。」というのも、気が引けるけれど、決まり文句なので仕方ない。
お稽古は、何故だかあまり注意もされず、途切れることなく進み、いつもより早く終わった。
終始、腕を組んで涼しい眼差しで見つめる西門さんは、いつもと同じ風だったけど、もしかして疲れているから、
今日のお稽古は早く終わらせたかったの?
案じながら、水屋仕事を済ませ、再び指をついて終わりの挨拶をした。
「ありがとうございました。」
「牧野、今日はお前、もしかして、アレか?」
「アレ?・・・」
「腰が重そうだったぞ。」
ようやくアレの意味がわかって、脱力するやら恥ずかしいやら・・・。
「あ・あのねぇ////に・にしかどさ~ん、急に何言うかと思ったら、何なのよ。
違うわよ///!・・・ったく。」
打って変わって超軽い軟派男の口ぶりで、全くついていけない。
保っていた緊張感が、ガラガラと一瞬にして崩れ去った。
せめて、その濃紺の着物を脱いでからにして欲しいよ。
「何か、ハードな仕事しただろ。大掃除か・・・?」
「あぁ、西門さんにはわかっちゃうんだ。」
「そりゃ、ずっと見てりゃあな。」
「掃除じゃなくて、今日ね、スノボーしたの。だから、ちょっと太ももが筋肉痛かも。」
「・・・周か・・?」
「うん。」
室内ゲレンデに連れて行ってもらったこと、スノボが少し上達して嬉しいこと、掻い摘んで話した。
「そっか・・・。よかったな。」
それから調子に乗って、西門さんをスノボに誘ってみた。
「・・・俺は、牧野がもっと上手くなってからにするわ。
それより、お前、再来週の週末空けれねぇ? 」
「再来週の週末?」
「一日使って、俺と朝からフル・デートしない?」
「・・・、ふざけないで、ちゃんと説明して。何?」
「誘ってるんだけど、そのまま。」
「だから、そうやっていつも捻らないで、素直に言いなよ。何?茶会の手伝いだったら、いいよ。勉強にもなるし・・・。」
「お前なぁ・・・。あのさぁ~、ホワイト・デーだろ?」
ホワイト・デーって、バレンタインチョコのお返しの日だよね。
西門さんが、そういう巷のイベント事を口にするのはチグハグな感じがする。
第一、恋人同士じゃあるまいし、朝からフル・デートってどうよ?
口角を上げてニヤリと笑う西門さんの本意が掴めず、返事に困る。
「俺じゃ、ご不満?」
「・・・」
「それとも、もう周と約束した?類か?」
「・・・ううん。」
「じゃ、決まりな。ちゃんと、空けとけよ。」
さして、断わる理由も無く、どちらかというと心は弾んでいた。
また、例のバイクで風を切りながら、でかけるのだろうか。
顔を見せないまま背中で目をつぶって、あの植物系にバニラがかった甘酸っぱい香りに包まれるの。
背後から、どこにでも連れて行ってと叫びそうになるのをぐっとこらえて、あの背中に頬を寄せ、ワクワクした血流を鎮めるの。
『っは?何これ?・・・私は何を考えた、今?』
西門さんのいうデートというものが、どんな種類のものか全くわからない。
けれども、一瞬でその日を楽しみにした自分に戸惑った。
「ねえ、どこに行くの?」
「そうだな、晴れてたら、水戸にでも行くか。梅の見頃だろ?」
「それって、もしかして本当のデートのつもり?」
「そ。」
当然のように軽く流され、これは私の思うデートと西門さんの思うデートの捉え方が違うのだと判断するしかなさそうだ。
女の人と出かけるのをまるで趣味のように隠しもしなかった西門さんだから、免疫の無い私と基準が合うはずもないのだから。
「結構な長距離だよね・・・。」
「でも、片道2時間余りあれば、着くんじゃねえ?」
「ずっと、バイクで行けるの?」
「えっ?牧野、バイクでもいいのかよ。」
「う・うん・・・私は、平気だけど。」
「なら、もっと楽しみだ。」
と言って、西門さんはニヤリと口角を上げ、涼しげに微笑んだ。
つづく
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