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38.
動かない足元へ近づいていくものの、足がすくんで上半身だけが前のめりになる。
もつれそうになる足をどうにかしながら、救急隊員の一人が振り返った時、ようやく見えた上半身が視界に入ると、指先が感電されたように固まった。
ヘルメットをつけたまま横たわりぐったりとして動かない西門さん・・・。
近づく私を押しとどめる警察官を払いのけ叫んだ。
「西門さん・・・!」
その場は通されたものの、3人の救急隊員が西門さんをぐるっと取り囲み、声を掛け合いながらメットをはずすところだ。
その緊迫した空気から容態が決して明るいものでないことはわかる。
思わず拳を胸の前でギュッと握り締めた。
意識があるのかないのか、全く判別できない。
ただ、西門さんは呻き声一つ上げず、まるで人形のように脱力していて、灰色のアスファルトには赤黒い大きな血だまりを作っていた。
大出血は明らかで、太腿辺りには大きな白い枕のようなものが載せられている。
機敏な応急処置の合間、スッポリあいた西門さんの側にすかさず歩み寄った。
「西門さん!!西門さん!ねえ、西門さん!」
固く閉ざされた瞼と青白い顔は、もはや、私のよく知る西門さんではない。
どんなにからかわれても、どんなに抱きしめられても、今なら笑って受け止めてあげるのに、そして、ちゃんと抱きしめ返してあげるのに・・・なんで?なんで動かないの?
こんなにも血を流して、どうするつもり?
笑えないよ!
ついさっき、あんなに私を熱く見つめていた西門さんとは思えない。
あんなに私を驚かせ混乱させた男性(ヒト)がカタリとも動かず、今にもその命の灯を消そうとしている。
私の目の前で魂が小さく小さくなって、このままポッと消えてしまうのではないかと恐怖がよぎった。
混乱させるだけさせておいて、私を置いていくの?視界が涙で滲み始める。
何かの冗談でしょ?
黒いサラ髪は変わらず艶やかなのに、その頬も瞼もまるで人形のように生気が感じられず、いつものニヤケた口元がどうしようもなく懐かしい。
冗談なら、早く起きて!西門さん!
「西門さん!!しっかりして!起きて!!ちょっと、起きてよ!!!」
救急隊員が酸素マスクを取り付けようと頭を持ち上げると、その時、西門さんの瞼がうっすら開き、スローモーションのように唇が動く。
良かった、生きている。
とにかく生きている。
そして、私の耳に小さく届いた声は、こう聞こえた。
「・・みる・・な・・・・・。」
えっ?なんて?
酸素マスクを装着され、担架に乗せられていく。
見るな・・・って?
もう、何言ってんのかわかんないよ・・・。
私も救急車に同乗し、西門さんの代わりに矢継ぎ早の質問に答えられるだけ答えた。
すぐに家族に連絡をと言われたものの、携帯を家に置いてきたから番号がわからない。
とりあえず、渡された電話から優紀へかけて、一刻も早く西門家の人に連絡して欲しいと伝えた。
ストレッチャーでオペ室へと運ばれ、緊急オペが始まってしばらくすると、西門のお母様と周くんがやってきた。
「牧野さん、総二郎は?」
悲壮な表情のお母様は、私を見るなり問いただすように聞いてくる。
できるだけ見たことを伝えようとするものの、容態も事故状況さえもよくわかっていない私には、お母様を落ち着かせることなど到底できない。
周くんが、お母様の肩にそっと手を置き、冷たいビニールシートの椅子に座らせた。
「とにかく、ここでオペが終わるのを待とう。 牧野さん・・・、大丈夫?」
周くんが、私を気遣ってくれる。
私の身体は、たった一人でずっと小さく震えていた。
眉間に皺を寄せ、心配気な表情で覗き込む周くんから優しくかけられた言葉が温風のように張り詰めた私の心を和らげる。
乾きかけた涙腺に再び涙が溢れ出した。
「周くん、私・・・。どうしよう・・・私のせい・・。」
「何言ってるの?事故は、牧野さんのせいじゃないでしょう?」
「ちがう。ちがうの・・・私のせいだよ。私が、西門さんに電話しなければこんな事故に巻き込まれること無かった。」
手術中の赤いサインは、頭上で私を責めるように煌々と点灯し、薄暗い廊下に反射している。
「牧野さんのせいじゃない。」
周くんは、私の肩に手を置き、怒るように言った。
赤いサインが消灯するまでの長い時間、私たちは声を掛け合うこともなく、ただリノリウムの床に視線を落とし続けた。
あの時、ピクリとも動かなかった西門さんの青白い頬。
流れ出た血をアスファルトが吸収し、赤黒いしみが徐々に大きくなって、出来上がったばかりの闇への入り口がポッカリ口を開けているように見えた。
その中へ西門さんが吸い込まれていきそうで、怖くて怖くてたまらなくて心臓が震えた。
目に焼きついた西門さんの血だまりの映像が、何重にも重なりながら私のほうへ向かって落ちてくる。
うっ・・・西門さん・・・ごめんなさい。
私が電話なんかしたから、こんなことになったんだよね。
どうして、私が出向かなかったのだろう。
今日は一日中忙しくて、返信も出来なかったと言っていた。
疲れていたの知ってたのに、どうして寄越してしまったのだろう。
早く見せたくて、浮かれていたのは私なのに、どうして西門さんがこんなことに。
赤いサインが消え、中から出てきたドクターに視線を向ける。
やや疲れた表情のドクターに詰め寄るお母様に告げられたのは、予断を許さないという微かな希望を砕かれた現実。
打撲による左肋骨粉砕骨折、それに伴う左肺損傷。
最も深刻なのは、車両轢過による大腿部・膝蓋骨のダメージらしい。
「先生、元に戻りますよね?」
すがるように言葉を投げかけると、ドクターは厳しい顔で「祈りましょう」とだけ言い残し、気のせいか怒った様に視線をはずしながら行ってしまった。
手術室のドアが大きく開き、口元には大きな酸素マスク、計測機械とたくさんのチューブにつながれた西門さんが目の前を通り過ぎていく。
「総二郎・・・。」
お母様が駆け寄り、覗き込む。
「西門さん・・・。」
その痛々しい姿を見つめるのがつらくて悲しくて、このまま正気をなくしてしまいそうで、きつく口元を両手で塞ぐしかなかった。
集中治療室に入ってから小一時間たっただろうか・・・。
警察の人に色々聞かれた。
私が駆けつけた時は、もうすでに救急隊員による応急処置が始まっていて、役立つ情報は私からは一つも提供できなかったのではないだろうか。
いつもの西門さんは、バイクの時、一切アルコールに口をつけないし、動体視力だってすごく良さそうで、後部座席に乗っていて不安に感じたことは一度も無かった。
もちろん、西門さんが直前に口につけたものはコーヒーだけ。
そのことだけは、ちゃんと伝えた。
警察官に聞いた事故情況はこうだ。
居眠り運転の2tトラックが誤って歩道側に突っ込んだ際、歩道側走行中の西門さんのバイクを巻き込み、運転手はガラス破片が刺さり顔面裂傷と打撲程度。
巻き込まれた西門さんのバイクは転倒。
車道に投げ出された西門さんの体躯を後続車が轢過。
運転手はハンドルを切りすぎ中央分離帯に激突し、内臓損傷で同病院に入院中。
西門さんには何の落ち度も無い事故なのに、覆いの無い二輪運転者はやはり最もひどい身体被害を被った。
西門さんを見ることもできず、人気のいない病院ロビーで周くんと肩を並べて座っていた。
自動ドアがガーッと開く音がして視線を向けると、息せき切らした美作さんが走りこんできて、周くんが立ち上がる。
「おぅ・・・周、それで、総二郎は?」
うっすら汗を浮かべた美作さんは、心配気な表情で開口一番に聞いてきた。
「オペは無事終りました。でも損傷がひどくて、予断できない状態です。」
「そうか・・・。」
美作さんはついさっきまで仕事をしていたような出で立ちで、きっと大急ぎで周辺を片付けてきたに違いない。
いつものように、颯爽とスーツを着こなし、美作商事部長としての多忙なスピード感を全身から発散させている。
美作さんと目が合うと、それだけでまたもや、涙腺から大粒の涙がこぼれ出る。
とめどなくこぼれ出る涙を指で掬うと、美作さんがフッと口元を緩ませて言う。
「牧野、泣くな。総二郎は、大丈夫だから。」
美作さんの優しい口調が、英徳時代を彷彿させる。
「・・・・ううっ・・・。」
嗚咽がロビーに響いた。
突然、出口が見つかって堰をきったように溜まっていた悲しみと後悔の苦しみが、嗚咽となって流れ出し、大きく響く。
こんなことになったのは、自分のせいだ。
悔いても悔い切れない。
どうして・・・どうして・・・どうして・・・・。
ロビーには全ての悲しみを受け入れる容器があるのか、泣いても泣いてもその悲しみは深まり増すばかりで、この日を境に自分も何かを背負い込んだのを知覚した。
寂れた辺境の住人のように、明るい太陽に向かって両手を広げることはもうないかもしれない。
重々しく息苦しい沈黙の中で、どうすることもできない自分の無力さに私の心はつぶれそうだった。
つづく
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