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43.
ホテルの一室と見間違うような個室で一人、リクライニングベッドの背部を起こし、前テーブルに単行本を乗せ読書していた西門さん。
つい先日、ベッドに手をつき肩を震わせていた人にはとても見えなくて、まるで調べものの最中のように、知的で静かに私たちを迎え入れた。
「さっき、ロビーでばったり会ったんだ。」
病室へ入るなり周くんがそう言って、先にズンズン窓際へと進んだ。
「おぅっ、そっか。」
そっけない返事が病室に小さく響く。
事故前の西門さんならこんな時、どう言って声かけてくれていただろう。
今と同じなのだろうか?
昔と変わらないようで、何か違う西門さんの変化を言葉にするのは難しいけれど、少なくても私はやっぱり遠慮がちになってしまう。
西門さんが変わったんじゃなくて、もしかして、私一人が萎縮してしまってるせいなの?
自分のこともよくわからない。
今日来たことを、どうか歓迎してくれますようにと願いながら、ふいに西門さんと目が合って、いつもの挨拶を口にする。
「西門さん、今日の調子はどう?ちゃんと、ご飯食べた?」
「あぁ・・・」
聞こえるか聞こえないかの返事と小さな頷き。
それぞれ三人の言葉が病室内を行き交い、それでも少しも交錯せず尻窄(しりつぼ)みに終わって空に消えていく。
鈍感な私は、妙な違和感も全部自分のせいだと思いこんだ。
「あのさ、西門さん!今日はこれ持って来たよ。」
「なんだ?飴かよ。」
「違うよ、ガムなんだけど、糖類0gでもおいしいらしいの。
煙草の代わりに口に放りこんでよ。」
西門さんはガムの成分表示を確認した後、おもむろにそれを脇机に置いた。
「ちょ・ちょっぉ・・わかってる?煙草が吸いたくなったら、そのガムを手に取るんだよ!」
「牧野、禁煙勧めるんなら先に喰ってからだろ、普通。
全く、説得力ゼロだな。」
ガムはここへ来るための言い訳みたいなものだったから、とりあえず一つしか手に取らなかった。
「じゃあ、今食べてみるよ!少しもらうね。」
早速、プラスチックの蓋を開封し、中からグリーンのタブレットを2つばかり取り出し口へ放り込む。
「ッチュク・・・、う・・ん、グリーンアップルの味だね。・・ッチュック、おいしい。
間違いなくおいしいです!」
少しムキになっていた方がずっと気持ちが楽で、そのまま強気の口調で本の真上に差し出した。
「はい!」
「ふふっ・・・。お前は・・・、やっぱ、そっちの方がいいわ。」
「えっ?」
西門さんは、本に視線を落とし、ブックマークをはさんだ後、黙って本を閉じた。
そして、顔を上げ私たちに向かって口を開いた。
「色々心配かけたけど、来週、退院できるらしいから。」
はっ?うそっ!?退院?
突拍子もない嬉しいニュース。
自宅に帰れば、きっと元気に戻ってくれるよね。
期待がふくらんで、思わず息を大きく吸い込んだ。
「そうなの、総兄?
よかった・・・じゃあ、うちの方の手配は僕から頼んどく。
総兄は何にも心配しなくていいから、退院までリハビリ頑張ってよ。」
「ああ・・・、周、よろしく頼むわ。」
「そっちは任せて。」
「西門さん、良かったね・・・。」
「ここも飽きた頃だったしな。」
左の口角を少し上げて笑う西門さんを久しぶりに見て、なんだかジーンときた。
背が高いから見下ろすようにニヤリと笑う西門さんを思い出す。
黒い革ジャンが格好良く似合って、ポケットに手を突っ込んだまま、振り返ってニヤリとする西門さんも。
退院が待ち遠しい。
続いて周くんは、今日の青年部ブロック大会についての報告をし、西門さんも周くんに仕事の頼みなどの大事な用件を済ませた。
兄弟って、やっぱり頼りになるんだね。
「ご苦労だったな、周。疲れただろ?」
「うん、っまあ、色々勉強させてもらってるけど。
でもさ、やっぱり責任重過ぎて、僕にはちゃんと務まらないよ。
だから、総兄には早く良くなってもらわないとね。」
「 ・・・。」
西門さんの沈黙が、弱気な西門さんの後姿を呼び起こし、拒絶されたことまで思い出して鼻の奥がツンとした。
周くんの言葉にどうやって答えようか考えている?
こないだの話・・・あれは本気だった?
本気で、次期家元の座を退くつもり?
ダメだよ、西門さん!
西門さんから茶道を取ったらどうなるのよ。
そんなに早く結論を出すことない!
たった一人で答えを出すことないじゃん。
少しくらい混乱させてもいいじゃない。
西門さんにとって本当に納得できる答えが出るのを待てばいいじゃない。
お茶は西門さんの全てでしょう?!
あきらめちゃだめだよ!
これから頑張ってリハビリすれば・・・、きっと・・・。
早く何か言わなきゃって思うのに、焦るばかりで言葉が出てこない。
いつも言いくるめられてばかりの私が、一体、どんな方法で説得することができるのだろう。
あんな弱気な言葉が出るほど追い詰められてる西門さんを前に、どんどん気持ちが沈んで、丸めた布を喉の奥に押し込まれたような感じだ。
いい考えが浮かんでこないこの脳味噌が恨めしい。
こんな非力で道端に揺れる雑草にすぎない私は、西門さんにかなうはずないもん。
「周、よく聞いて欲しい話がある。 座ってくれないか?」
きた!やっぱり。
木製の椅子をベットに近づけ座る周くん。
「牧野には、こないだ伝えたんだが・・・。」
周くんが、私を見上げて、本当なの?という目線を寄越し、少しドギマギした。
「俺がもう歩くことができないかもしれないのは医者から聞いてるだろ?
諦めてるわけじゃないが、とても元に戻るとは思えねえ。
どれだけリハビリしても、限界っつうもんがあるしな。
だから、お前に頼んでおきたいんだ。
次期家元として立つ準備をしておいてくれないか?」
「何言ってんの、総兄?無理だよ、そんなの。
第一、元に戻らないって決まったわけじゃないじゃん。」
ジロリと厳しい目線で周くんを見上げたあと、驚いたことに西門さんは頭を下げた。
「周、すまん。
結局、こんなことになって・・・。」
目先は周くんに向けたまま、真剣なまなざしだ。
「えっ?総兄・・・。」
「お前だって茶が好きだから、結局、ずっと離れられずに来たんだろ?
好きこそ物の上手なれだ、幸い、筋もいいし、今からその気で望めばきっと誰もが納得する家元になれるって。
お前を見込んで、頼んでいるんだからな。」
「総兄、ちょ、ちょっと待ってよ!
確かに茶道は簡単に捨てられるものでもないよ。
けど、僕は大学の研究所に残って、有機化学分野で人類に有用な未開物質を創り出す夢に向かって歩き始めたんだ。
途中で放り投げろって言うの?
第一、僕に家元の仕事なんて、・・・やっぱり、務まらないって。
最近、痛感してるんだ、僕には門下生達を束ねる器なんか無いよ。
机に向かっている方が向いてるかもって。」
西門さんは、首を少し傾けて少し悲しそうな顔をした。
「なあ、周、そういう立場になって初めて育っていくものもあるんだぞ。
周りがお前を作ってくれるさ、心配すんな。」
「無理だよ・・・僕は総兄みたいに強く気持ちを保てない。」
「何も、今から全部完璧にする必要もないんだから気を大きく持てよ。
そういえば、牧野が支えてくれるらしいぞ。
この先、うっとうしい噂や反対分子の存在に心痛するかもしれないが、牧野を連れまわせば心丈夫だぞ。
向かい風にも負けない雑草根性は、保証書つきだからな。」
そういって、私と周くんを交互に見た。
「総兄、どういうつもり?」
「牧野も承知してる話だ。・・・だよな、牧野?」
同時に二人揃って私に向かい合うように居ずまいを整え、返事を待っている。
「そりゃ、そう言ったけど・・・。」
『ズルイよ、西門さん・・・。』
口から先にこぼれた返事。
西門さんは私に相談なく勝手に何もかも決めてしまう。
一人で苦しみ一人で解決しようと、毎日見舞ってる私にさえ気付かせないうち、いつの間にか答えを出していた。
たった一人、この病室で七転八倒してるのに、苦悩の後も感じさせずさらりと話す西門さんが全く信じられないよ。
偶然見かけたあの時も、すぐに私を拒絶して、受け入れようとしてくれなかった。
それがどんなに悲しくショックだったかわかってる?
私の気持ちはどうでもいいの?
「総兄、それとこれとは別でしょ。
継承問題に牧野さんを巻き込むのはおかしいよ。」
「ごもっとも。でも、お前一人じゃないって言いたかっただけだ。」
「でも、僕は自分のやりたい事がちゃんとできてないと、好きな人も幸せに出来ないと思うし。」
「そのやりたい事の一つが、茶道だったんだろ?」
穏やかに平然とした口調で言う西門さんは、音もなく周くんをコーナーに追い詰めている。
「・・・っ。」
周くんの眉間が微かに動いた。
突然、詰まっていたものを突き上げるような衝動が湧き上がり、どうしても言わなきゃって思うと同時に、勝手に口から飛び出していた。
「周くん、男だったら腹括んないといけない時もあるんだよ!
地球が自転するような大きな流れに巻かれるってことは、諦めたり捨てなきゃいけないものだって出てくるもんなの!
人間、好きなことばっかりできないようになってるんだよ。
お喰い初めから抹茶碗を持ってきたんでしょうが、今生庵に入ってきたんでしょうが、そんな希少な人、この日本に何人くらいいるか想像してみなよ。
自分しか出来ない仕事を強く望まれてるのに、それから目を背けて生きていくつもり?」
西門さんは、少しビックリしたような目をして見つめていた。
「西門さんだって、なんでもかんでも一人で決めて、そんなに一人がいい?
私の気持ちを聞きもしないで、いくら師匠だからって、何でも思い通りに考えるのはどうかと思うよ。
見舞いに来てるときは唯の友達同士でしょう?
苦しいのなら、ぶつけてくれてもよかったのに。
“お前が電話して来なければ、こんなことにならなかったのに”って言ってくれた方が、どんなに気が楽だったか知れないよ。
二人とも勝手すぎるよ。
もう知らない!」
何を言う私の口・・・。
私の言ってることは、一体どっちの味方なのか分からない矛盾しまくった一方通行。
溜まっていたものを吐き出した爽快感とこの病室にばら撒いた私の勝手な言い分にいたたまれず、病室から逃げるように外へでた。
残された二人は、ポカンとして空気が固まっていたかもしれない・・・。
つづく
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