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44.
後悔の溜息は、朝から何度吐き出したか知れず、自己嫌悪に落ち込んでいた。
どう考えても、私が二人に向かって吠えた言葉はその場の感情にまかせ過ぎた。
周くんに研究室をあきらめるべきと言う一方、西門さんには一人で勝手に家元をあきらめるなと言い、どちらも同時に成立しないわけで、結局、二人を煽ってしまっただけなのではないか。
あの場合、第三者の立場として冷静でいるべきなのに、後悔して欲しくないあまり後先も考えず吐き出した。
言われた側も、かき混ぜられて困惑したに決まってる。
だって、家元の席はたった一つでそれだけに、孤独な重責を背負うのを誰より知ってる二人だから・・・。
ふぅ~。
西門さんが退院してから1週間。
そんなこんなで顔を出しづらかったのだけれども、西門さんの様子が気になる方が勝った。
退院後初めて西門家へ訪ねた日は、「お休み中」ということですごすご引き返す。
数日後、出直しの二度目に、西門さんの部屋へ通された。
広い洋間は廊下より少し明るめのウッドフロアで、書斎机・オーディオ類・黒皮のソファーセットそして柔らかそうなクウィーンサイズのベッドには薄グレーのコットン・コンフォーターがかけられている。
その他はクローゼットに隠されているらしくシンプルな男性の部屋といった印象だ。
西門さんは窓際にいて、何やら分厚い本を読書中だったようだ。
梅雨明け後の猛暑から隔離され、冷房の行き届いた部屋はまるで別天地。
火照りを沈めてくれるひんやりとした空気とちょっぴり懐かしいバニラがかった西門さんの香りいっぱい、いそいそと鼻腔を通って肺に入り込んでくる。
真新しい車椅子の車輪は上等な銀細工のように光が当たりキラキラ輝いて、西門さんはその白い光に包まれて座っているように見えた。
ポカーンと口をあけて見つめていた自分を正し、努めて明るく声をかける。
「よう、元気!?」
「おう、牧野。・・・忙しそうだな。」
思いのほか、すぐに返ってきた返事。
見間違えたのかもしれないけど、私に向かって嬉しそうに微笑んでくれた気がして幸先すこぶる良し!
「久しぶりだね、西門さん、調子はどう?」
「良くも悪くも・・・。」
西門さんはパタンと分厚い本を閉じ膝に置くと、器用に両手を使って車椅子の向きを変えソファーの方へ向かった。
その動きは車椅子初心者とは思えないくらい躊躇なく滑らかで、白く発光する乗り物を見事に操る西門さんが格好良く見えたのが正直な印象だ。
突っ立ったまま見守っていた私は、西門さんの視線に引っ張られるように部屋の中に踏み出した。
「いつの間にそんなに腕を上げたの?長年車椅子に乗ってるベテランみたい。」
「マニュアルを読めば、感でなんとか動かせるもんだ。」
「・・・そんなことないでしょうよ、普通の人は慣れるまで相当の苦労するもんでしょ?」
「人間工学に基づいて設計されてる上、老若男女何百人ものモニターからデータを取って生産されてるんだぞ、俺が苦労するわけないだろうが・・・。」
「クスッ。」
今日の西門さんは機嫌がいいのか口が滑らかに動くようで、昔の調子がオーバーラップして、胸の中がサヤサヤざわめき始める。
「お前、乗ってみるか?」
「は?」
なんだろう?
西門さんからちょっかいを出してくるなんて、本当にどういう心境の変化よ?
やっぱり自分のお家に戻ると、気も晴れるものなのだろうか。
何はともあれ、再びこんな風に話せるなんて心が弾んでくるよ。
「ええ?初めてだけど動かせるかな?」
珍しくもない乗り物なれど、いざ運転してみるとなると、大層な乗り物に思えてしまう。
西門さんはフットレストをスウィングアウトすると、身軽にひょひょっとソファーへ身体を移動させ、こちらを見ながら首を少し傾けた。
「こっち来いよ。」
「う・うん・・・。」
いくつかのレバーが付属する黒いシートに恐る恐る腰を下ろし、アームレストに肘を置くと、なんだかモビルスーツに身を沈めた気分がしてテンションが上がったのはおまけの予想外のこと。
ジェットコースターに乗りこんで、怖いくせに期待いっぱい興奮した子供みたいだ。
「ねえ、ねえ、これ何?」
「引いてみぃ。」
言われた通りレバーの一つを手前に引き倒すと、肘掛け部分が後方に跳ね上がった。
「うわわっ、こんなに軽い力で動くの?」
「だから言ったろう、力のない奴にも使いやすい様に考えられてるって。」
「なるほどね~、真横に移動する時、肘置きが邪魔になっちゃうからかぁ。」
「左右どっちのウイングも動くぞ。」
私は感動にも似た好奇心でいっぱいになり、興味深くあちこちのレバーを触ってみたくなった。
近くで見ると一般的な銀色をした大きなホイル近くに並ぶレバーの一つを引いてみると、いきなり視界が揺れる。
「うわわっ!助けて~に・にしかどさん~」
そのレバーを引くと、なんと椅子ごと45度後ろへ倒れて、そのまま後ろへひっくり返る!と思ったところでピタリと止まり、ビックリして冷や汗が出た。
足もとは地上から50センチくらいの高さに上がり、目を開けると天井と向かい合うといった体勢である。
「クククッ、あいかわらず、お前笑えるよな。」
「ちょちょっと、笑わないでよ。何なのよこれっ??」
「それはティルト機能といって、同じ体勢でいると血液の流れが悪くなるだろ。
時々そうやって身体の重心を変えて、体重分散するのが目的なわけ。」
「へえ~、なるほどすごい!
す・すごいんだけどさ、これ戻す時はさっきのレバーを押し戻すのぉ?
ガタンって急に戻ったりしない?」
「ククッ、ビビる必要ないんだって。身体に優しい設計だから安心しろ。」
椅子は衝撃もなく元に戻り、ほっと一安心。
続いてホイルに手を置き前へ送ってみると、船が漕ぎ出すようにゆっくり前方へ動いていく。
あっという間に、窓際まで到達して西門さんに振り返った。
「楽しいね、これ。」
肘をついて見つめている西門さんは、私の言葉を受けいれた旨を両眉を上げて表した。
ところがターンは簡単にはいかず、西門さんからの細かい指導を受けようやくソファーに戻ることとなる。
「ふぅ~、ただ今到着。」
モビルスーツ体験を終えて興奮気味で立ち上がり、西門さんの側に立った。
「西門さん、ありがとう。
私、車の運転ってしたことないけど、こんな感じなのかな~?って思った。
誰もいないところだったら、何とかなる気がするんだけどやっぱり練習が必要だね、当たり前か・・・ヘヘッ。」
西門さんが一本脚で立ち上がり、空いた車椅子に移ろうとしたので、手を貸すつもりで車椅子を引き寄せた際、
自分のお尻が西門さんの右太腿にぶつかってしまい、西門さんのバランスを崩してしまった。
「キャ、ごめ・!」
『 アッ・・・!』
無意識に西門さんの右腕をつかんで引き寄せようとするも、西門さんの体重を片手で引き戻すことなどできるはずない。
もつれるように二人してソファーに倒れこんだ。
「イッテ~!」
気付けば、西門さんの広い胸に頬を寄せ乗っかっている体勢で、私の胸はペタリと西門さんのお腹辺りに密着している。
すぐ目の前には西門さんの鎖骨があり、植物系のバニラがかった甘酸っぱい香りが鼻腔を掠めた。
見上げると、ビックリしている西門さんと至近距離で目が合って、ドキリとする。
西門さんは私の身体を守るために自分の両手で私の腰を支えてくれて、多分そのせいで、崩れ落ちた衝撃をダイレクトに背中に受けたはず。
それでも、私を気遣う眼差しを見せている。
見つめ合ったまま、お互い引きつけられるかのように視線を交差させたままはずさない。
根競べでもなんでもないのに、はずした方が負けみたいに目を見開いて力強く。
咄嗟に掴んだ西門さんの右腕は生温かく、その皮膚の下には筋肉と真っ赤な血液が流れていて、この目の前の人を動かしているのを指先で感じた。
そんな当たり前のことに、心が震えそうだ。
目を離せなくなったのは、事故の夜見せたあの熱い瞳が垣間見えたからだ。
あの夜ほど、私を求める激情が色濃くはないものの、驚きや気遣いの他、戸惑いや哀しみを複雑に伴いながらも、私にはくっきり見えた。
真摯に求めてくる熱い思いが、ハートに突き刺さったようにビンビン伝わってきたのだ。
だから、どうしても目を反らせられなかった。
見ようによっちゃあ目もあてられない格好の二人なのに、見つめ合ったまま動くことも出来ないでいた。
時間にすれば、ほんの10秒くらい。
霧の中からようやく抜け出せた恋人たちが手を取り合って存在を確かめ合うがごとく、濃厚で温もりのある時間だった。
現実に引き戻されたのは、西門さんの声が耳に届いたから。
「だ・だいじょうぶか?牧野?」
「え??・・ あ、平気。」
正気に戻るやいなや、この体勢が不安になって、さっさと立ち上がる。
「ごめん!西門さんこそ、足大丈夫だった?」
「牧野の顔、ピンク色。桃みたいで旨そっ。」
ソファーに寝転んだまま、平然という西門さん。
「は?/////」
左脚には打撃を食らっていなかったのが認められ、ほっと胸をなでおろしたものの、違うところで胸のドキドキは鳴り響いたままだった。
そんな私と違い、軽い口調とポーカーフェイスとは裏腹に、心中では感情の灯消しに躍起になる男の苦悩があったとは知らずに・・・。
つづく
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