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49.
この家の敷地に入る度、日本家屋の静かな佇みと造られた季節のしつらえが、西門流という大河の存在を厳かに語るようで、その岸辺に足を踏み入れたという気持ちにさせられる。
ひんやりとした師走の空の下、お稽古の時間に少し早すぎる時間、こうして通用門をくぐり、足を進めるのも決意あってのこと。
庭園の寒椿は、濃緑を背景に、引いたばかりのルージュのような紅を鮮やかにさしている。
そして、その奥に目的の人物を見つけた。
朱と茶と黒の色調で、全体的にこまやかな色柄の更紗の着物。
単調な冬の庭に馴染みながらも温かなぬくもりを感じさせる置物のようだ。
近づく私の足音には気付かず、一心に五部咲きの蝋梅の手入れをしているその人へ、そっと声をかけた。
「あのぅ、西門のお母様。」
「あら、牧野さん。今日は、お稽古?」
「あっ、はい。周三朗さんに教えていただく予定です。」
「そうよね。
それで、周三朗はお茶の先生としてどうかしら?
総二郎に比べて、見劣りしてしまう?」
「えっ?とんでもない!
周くん、いえ、周三朗さんは教え方もお上手だし、いつも立派だって思っていますから。」
「うふっ、そう?なら、西門も安泰かしらね。」
そう言いながら、白く細い指で蝋梅の枯れた葉を一枚爪弾いた。
「あのぅ、今日は折り入って、お願いがあるんです。
西門さんに会わせていただけませんか?お願いします!」
振り返って私を見つめる瞳が、とたんに悲しそうな色に変わる。
「牧野さん、総二郎の苦しみやつらさを取り除いてあげたくても、そんなこと私達にはできないのよ。
例え、同じ症状になって総二郎に近づいても、自他の違いの前で足踏みするだけよ。
本人が七転八倒して乗り越えるしか再生の道は無いの。
いつ・どんな風に立ち上がって、これからの人生をどう生きるか、私たちは見守ってやるだけしか出来ない。
この蝋梅の蕾を同じように世話しても、全ての蕾が見事に花咲くとは限らないように、
人間も生まれつきの運勢・生命力があるでしょ。
タフな人間もいれば、そうでない人もいて十人十色だものね。
総二郎を信じて待っていましょう。
母親として不十分かもしれないけど、今は望むようにしてやりたいの。」
言葉をそこで区切り、目線の先は私を通り過ぎた後ろへ移動する。
心労の挙句たどり着いた胸の内をもらし、そこには、息子を想う母の情愛が感じられた。
人情より理知が優る母親が表わす母性は、冷たい美しさの中に灯る永遠の温もりのようだと思った。
「何もしてあげられないのは、わかっています。
でも、どうしても会いたいんです。」
西門のお母様は小さく溜息をついて、再び口を開いた。
「加害者はトラックの運転手。
牧野さんが責任を感じる必要はどこにもありません。
貴方が自分の中の罪悪感を消せないのであれば、ここで西門の為に助力下さい。
どういうつもりで総二郎と会うつもりかわかりませんが、残念だけど、私からは教えてあげられないわ。
あの子がここを去って一人になりたいと思ったのは、貴方を含めたこの場所から離れたかったってことに間違いないのだから。
ごめんなさいね。」
それでも、ひつこい蝿のように、私は引き下がらなかった。
「でも、私、私、どうしても西門さんに伝えておきたいことがあるんです。
ほんの少しの時間でも、ちゃんと西門さんに自分の言葉で伝えたくて。
西門さんがいなくなって、初めて自分の気持ちに気付いた私って、ホント馬鹿で頓馬で・・・いい歳して、これまで何見てたんだろう?って、やりきれないです。
始まりがあったかもしれない時には気付いてなくて、無駄に過ごしてきた日々を後悔ばかりしてます。
今ならちゃんと胸張って西門さんに返事できるから、遅くなったけど、気持ちを伝えたいんです。
西門さんがどんな身体になっても、受け止められます。
この気持ちはきっと変わらないって神様にだって誓えます。
だから、お願いですから、教えてください。
西門さんはどこにいるんですか?」
「返事?それって・・・。」
「それは・・・聞き違いかもしれないんですけど。」
「総二郎から告白でもされた?」
小さくコクリと頷いた。
「そう・・・。」
西門のお母様は、頷きながら考える素振りを見せ、ややあってから口を開いた。
「牧野さん、今日のところは引いて下さらないかしら。
これは母親の突っ張りなのかしらね、それとも、私が不器用なだけなのかしら。
これでも総二郎の将来のこと、親なりに覚悟をしていたせいか、気前よく牧野さんを通してあげるには抵抗があるみたい。」
「・・・っ?!」
「別に牧野さんだからって訳じゃないのよ。
いやぁね、息子を取られるわけでもないのに、ふっ。
こんな気持ちになるなんて、思ってもみなかった。
少し考える時間をいただけないかしら?」
お母様は、西門さんがニヤリと笑ったような余韻を残して微笑んだ。
この時期、茶室では炉から立ち昇る潤いが室内を柔らかくし、優しく包みこんでくれる。
割り稽古では、炉の柄杓の扱いを重点的に習った。
柄杓の露を畳にこぼしがちな私の為、周君がすぐ側まで歩み寄り、手取り足取り教えてくれる。
「大丈夫、そこで、思い切って!
手首でなく肘で扱うのを、身体に覚えさせるように。
こぼれるかもって不安に思うと、動きが小さくなって、全体的にだらけてくるから、
サクッと竹を切るように、すがすがしく!」
総兄に頼まれたから責任があると、それはもう丁寧に教えてくれて、有難くって周くんに足を向けて眠れないと思う。
香りが届く至近距離で、私は周くんを盗み見た。
熱をいれて教えてくれる周くんは、手元に顔を向け、西門さんより少し色素の薄い前髪をはらりと額に落とし、西門さんより少し高い声で私に教えを施す。
濃紺の紬とその下に少し見えるねずみ色の長襦袢、V字型に切り取られた肌は西門さんとはどこか違う・・・。
今日は西門さんと違う点を捜してばかりなのに気付き、愕然とした。
何より決定的に違う香りがどうしようもなく、鼻腔をくすぐり、胸の中で渦巻いた後、涙腺を熱くする。
鳴りをひそめていた感情は、否応もなく五官の記憶によって押し広げられ、会いたい思いで胸が焦がれて苦しいほどに。
あの香りが恋しい・・・そう、耳元で囁く声がこだまする。
まるで周くんそのものを表しているかのように、ユニセックスでさわやかな柑橘系の香りは大好きだけれど、違う、違う、違うのだ。
どうにかお稽古が一通り終わると、周くんがお茶を私に点ててくれた。
「牧野さん、疲れてるみたいだから・・・。」
そう言って、一服ご馳走してくれる周くんだって、相当無理してるんじゃないの?
多忙の余り、周くんが倒れたらどうするのよ。
私の心配を他所に、流れるような所作は美しく、いつのまにか引き込まれ食い入るように見とれてしまった。
老若共に許される濃紺の紬を周くんが着れば、こうも若々しい色目だったかと知ることとなり、ピンと伸びた身ごろはしなやかに伸びた腕ときれいな指先を軽々と司(つかさど)りつつ、全ての道具から重力が消えたような、思うままの伸びやかさを感じさせる。
川の流れにも似た無理の無い動線美をみていると、心のざわめきが千々に散らばり消えていく。
絡んだ糸がするりとほどけていくような気持ちのよさを感じる。
『炭は沸くように置き、花は野にあるように』
茶祖・千利休が心得として、そんな言葉を残していたっけ。
棗を清めた後、紫色の袱紗が再びタラリと解かれ、小波(さざなみ)をたてる。
さばき直された袱紗で茶杓を丁寧に拭き清める周くんの横顔。
額にかかった前髪の下、睫毛が揺れると釣られるように繋がる鼻筋に釘付けになった。
見覚えのある鼻筋は不思議なことに、そこだけ兄弟同じパーツがはまっていて、茶巾をつかむ周くんと一緒に、西門さんの幻影が身体を前へ傾けた。
西門さんのお点前姿がスライドのように蘇り、胸が熱くなって今にも口から熱いものが流れ出そうだ。
『大きく三回半』
茶巾を扱いながら、静かに低い声でボソッとつぶやく声まで聞こえると思った時、涙の雫が顎から太ももへポトリと落下した。
透明の液体が浮かんでいたのに、ちっとも気付かなかった私。
「・・・牧野さん?」
周くんは、驚いた様子で手を止める。
「牧野さん、どうかした?」
「ごめんっ・・・。」
ズズッと鼻を啜る音が茶室に響く。
「・・・?」
「周くんを見てたら、西門さんを思い出しちゃってさ。
ここで涙なんかこぼして・・・、今日は感傷的過ぎよね、私。」
周くんは、茶巾を茶碗の中に戻すとすかさず側へやって来て、私の両手首を大事そうに両手でつかむと、自分の方へ引き寄せ、更ににじり寄ってきた。
どこか切羽詰った珍しい勢いの周くんにたじろいだ。
「いつ言おうかずっと考えていました。
多分、今がその時だと思うから聞いてください。
牧野さん、僕は貴方が好きです。
会うたびに好きになって、正直、今だってどう話していいのか戸惑うほど心が震えています。
僕の言ってること、半人前のくせになんて思わないで、ちゃんと聞いてくださいね。
僕は西門を継ごうと思います。
家元なんて腰が引けるけれど、それが僕の責任だし、やってみる甲斐のある仕事ですからね。
これからも僕を助けてくれませんか?
ずっと僕の側にいてください。
牧野さんを絶対一人になんかしませんし、ずっと守り通してみせます。
総兄の代わりに僕たち頑張りましたよね。
一緒に過ごす時間が増えて、僕の色んな部分を見てもらえたんじゃないかな。
少しは、信用できる奴だって見直してくれていたらいいんだけど。
僕の将来にかけてみませんか?」
つかんだ手首にムンズと力が加わるのを感じ、力強く真っ直ぐ私を見つめる瞳とかち合った。
いつかこんな日がくると予感していたような気もしないではないけれど、若い力にあふれた熱情をぶつけられ、タジタジしてるうちに飲み込まれそうな気がした。
「ごめん。」
他人がしゃべったのかと思うくらい、咄嗟にこぼれた返事。
「ごめんね、周くん。私・・・、」
「やっぱり、牧野さんは総兄が好きなんだ。」
あくまで紳士的に尋ねる周くんに、私は優しい気遣いの余裕さえない。
「いなくなって気付いた。いつの間にか、好きになってたこと・・・。」
次から次へと零れ落ちる涙が太ももへ落下し、着物に染みが広がるのをじっと見つめた。
堀のような沈黙が流れる間、浮かんだのは周くんと一緒に笑った思い出。
スノボーで転んだ時・シアトルの砂浜でアザラシを見た時・初めて作った茶腕で遊んだ時、健全な楽しさは居心地よく私を笑わせてくれた。
明日から、もうそれを期待できないと思うと、新たな涙が零れてくる。
もし、この世と違う世で出会っていたら、周くんのこともっと好きになっていたに違いない。
「居なくなってから、気付いたのか・・・。きついな、それ。」
私の両手をそっと解放し、苦笑いを浮かべて言う周くん。
「僕も泣きそう・・・。」
え?っと見上げると、透き通るような視線で私を見つめていた。
「周くん、私、周くんのこと、大好きだよ。」
「振られた男を慰めてくれてるの?」
「ううん、そういうつもりじゃない。
本当に大好きなんだよ。」
「じゃ、僕を選んでよ。」
黙って首を横に振った。
「ふう~、だよね。
牧野さんにいい事教えてあげる。
総兄はね、金沢にいるんだ。
会えるかどうか、わからないけど。」
「どうして?
どうして、教えてくれるの?」
西門さんのことは、美作さんやUAEにいる類にさえ口を閉ざされ、今日はお母様に当たって粉々に砕けたところだ。
誰もがそれが一番いい結果を生むのだと行き先については固く口をつむっていただけに、ふいに突破口を与えられ、急な心変わりの理由が知りたかった。
「だって、総兄は西門という一人では抱えきれないくらい大きな物を、僕に押し付けて行ったんだよ。
その上、有能で魅力的な女性まで取られたんだから、それくらい許されるでしょ。」
きっと、私は泣き笑いのひどい顔してただろう。
涙の味が塩辛くて、思わず両手で顔を覆った。
つづく
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