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55.
突き当たりの扉を開けると、明るすぎる光の刺激に数回瞬きしなければならなかった。
目が慣れてから見渡すと、左から豪華なアイランド型キッチン・ユニット、ガラスの6人掛けダイニング・テーブル、そして、ゆったりとした黒皮ソファー、それらが白く長い壁に囲まれている。
乱反射する光のせいで黄色い明かりが幾層もの濃厚な光の束となり、なんだか大人のパーティーを連想させる部屋だ。
西門さんはどこ?
姿が見えない。
私は一人で勝手にやってろということなのか。
所在なげに立ちすくんでいると、突然ピンポーンというチャイムにドキリとした。
キッチンの左手ドアから西門さんが現れて、インターホン越しに何やら話しかけ暫くすると、見覚えのある女の人が木製のおかもちを携えながら入ってきた。
「あら?以前お見かけしたお嬢さんですよね、まあ、いらしてたんですか。」
「あっ、その節はお世話になりました。」
目の細いその人には覚えがある。
確か、西門さんがこのマンションに引っ越したことを親切に教えてくれた母屋の人だ。
「今、いらっしゃったばかりですか?
そのコート、ハンガーにおかけしましょうね。
この時間、外は寒かったでしょう。」
そう言って、背後に回り、脱ぐのを手伝ってくれる様子はどこまでも気のいい仲居さんみたいだ。
「さあさあ、中へ。すぐに温まりますから。」
私のコートを手に持ち、リビング側にある別部屋に入ったかと思うと、手ぶらで戻ってきてテキパキと働き始めた。
「総二郎さん、今夜はタンシチューをお持ちしましたので、すぐにお二人分ご用意させていただけますが、どうしましょうか?」
「あっ、いえ、私は・・・。」
私の方は見ずに、手を動かしながらも西門さんの返事を待っている様子。
西門さんと私は無言のまま佇み、確かにある種の思いに同調し合い、そして同時に探り合っていた。
首尾よく世話をしたがる使用人の前で、二人してふさわしい返事を探す作業の共有感に浸りながら、別なところでは、降って湧いたような緊張感の中、どちらかの決定的な一言で、簡単に何もかもが決まってしまうような怯えを共有していた。
提案者のペースに乗っかるのが楽だと知りながら、それでもお互い抵抗を感じるのは、急遽、追い立てられるように二人の時間を想像させられたからだ。
微かな期待と不安が入り乱れ、あと一歩が怖くて進めない。
お互いの姿を視線の端に感じながら、どうするべきか決めかねていた。
沈黙を破ったのは、西門さんだ。
「食べるか?」
「・・う・うん。」
「じゃあ、こいつの分もお願いします。」
「私、お腹ペコペコ。」
そうでも言わなければ、なぜか辻褄が合わない気がしたから。
「とりあえず、身体を温めろ。」
そう言って、西門さんは私をバスルームへ連れて行き、バスタオルを手渡し、ソープ類を確認した後、バスタブにお湯を張るためコックをひねり、指を当て温度を調節してくれた。
かいがいしく世話してくれる西門さんは、左脚を横に流し器用にしゃがんで、そんな姿が新鮮だったりする。
「クスッ、西門さん、いいよ、後は私がやるから。」
「あ・・あぁ、日頃、ここは使ってないから。」
俯き加減に横を通り過ぎる西門さんをじっと見つめていると、何か言いた気な顔をして結局無言のままその長い腕でバスルームの扉を閉じる西門さん。
「誰がお前の裸なんかのぞくかよ。」
なんて懐かしい声が聞こえた気がした。
白い湯気の中につま先からそっと入り、静かに湯船いっぱい身体を埋める。
隅から隅まで順番に温められていくと、体内をめぐる血流が勢いを増し、新しい息吹がバンバン生まれていくような気持ちの良い爽快感が身体中走る。
なんて気持ちいいんだか、幸せ・・・大好きな時間。
汚れたものはきれいさっぱり洗い流し、綺麗になって明日へ繋ぐ。
英徳時代、バイトでクタクタに疲れきっても、こうして湯船につかると活力が戻ってくるのが自慢であり、だから貧乏なんて怖くもなかった。
あの頃は、どんなに辛い境遇でも、幸せな未来がちゃんと待ってると思いこんでいた。
あれから私は成長したのかな?
今だに同じじゃん・・・。
いやいや、今度こそ私は幸せを掴むためにここにやって来たんだ。
与えられる幸せは勿論のこと、与えてあげる幸せだって、じっと待っていては手に入らないと気付いたわけで。
女25歳、要所は外さない意気込みが大切よ!自分の気持ちを守り抜く!
あの頃より、ちょっと図々しくなったかもしれない。
程よく温まった身体で、勢いよく湯船を後にした。
広間の方に戻ると、母屋の使用人の姿は見えず、ダイニングテーブルには二人分の夕食が置かれていた。
「牧野、冷める前に食うぞ。」
「あ、はい。」
あわてて席に着くと、早速、西門さんが赤ワインをグラスについでくれる。
「俺はもう飲んでるから。」
既に西門さんのグラスには、少ししか赤い液体は残っていない。
「じゃあ、今度は私が注ぐよ。」
ボトルを受け取り、西門さんのグラスに赤い液体をコクコクと注ぎ入れる。
テーブルの真ん中にボトルを置く際、ふと視界に入ったものに目を奪われた。
私の視線が向かったのは、ついでもらったグラスではなく、テーブルの脇に置かれていた地味なお湯呑みだった。
その中に挿された一輪の黄菊がとっても可愛い。
それは、私が西門さんにプレゼントした手作りのお湯呑みだ。
周くんと初めて手作りに挑戦して、なんとなく雰囲気の出たお湯呑みだった。
「牧野って黄色いイメージだ」って言われたことを思い出す。
そりゃあ、こういう場合、自意識過剰とか自惚れって言われるかもでしょう。
でもでも、もしかして・・・。
だから黄色いお花なの?
私の事を思ってくれている?
勝手に一人突っ込んで、頬が緩んでくるから仕方ない。
「西門さん、これ・・・、使ってくれてるんだ。嬉しい、ありがとう。」
「ああ、花瓶が無いから。」
素っ気無い言い方が、かえって本心を隠しているように聞こえるのはただの思い過ごしだろうか。
真実はともあれ、私の心持ちが一気に明るく軽いものに変わり、どんな冷たい言葉も温めて優しく返してあげられるような自信が天から降りてきたようだった。
「今日はごめんね、急に来て。
今度はちゃんと連絡して来るから。」
西門さんは、スプーンを握ったまま私を呆れたように見上げた。
「今日、携帯から電話くれたでしょ?そこにかけるといいよね?」
答える代わりに小さく首を捻り、事も無げにスプーンを口に運ぶ。
私は近況報告だといって、最近のお茶の行事やお稽古のこと、それから、周くんが頑張っていることをたっぷり話した。
それから、道明寺と再会したこと、いよいよ日本に帰って来ることや西門さんのことを心配していたことなどもつらつらと。
一方、西門さんは相槌さえあいまいで、ずっと無言のまま黙ってワインを傾けている。
ペラペラしゃべる私はKY女で、それでも結構。
あの日、F3と過ごした時間を思い出しながら、一人楽しげに語り続けた。
西門さんも来ればF4揃って見物だったのに・・・とはしゃいだ口調で軽口たたいてみたりもして。
お皿の中のものが綺麗に片付き、ワイングラスを置くと、ようやく西門さんが口を開いた。
「牧野、これから帰るの無理だろ?
あいにくベッドは一つしかないから、悪いが俺のベッドで我慢しろよな。」
え?一つのベッドで?ついにきたか?
ビビッているのが伝わった?
「俺は適当にソファーで寝るから。」
呆れたようにいいながら、西門さんの口元は笑っていた。
ホ~っと肩から力が抜ける。
「あの・・いいよ、私がそこのソファーを使わせてもらうから。
すみません、一晩お借りします。」
西門さんは、面倒くさそうに背もたれに身体を預け、無表情に言う。
「ッチ・・・とにかく、そうするから。」
西門さんの寝室はキッチンの奥にあり、扉を開けるなり、むせ返るほど西門さんの香りが充満していた。
枯れ草色のコンフォーターをめくると、同色のシーツの上に、長い髪の毛が落ちていて、否応無しにあの瑠璃ちゃんのものだとわかってしまう。
西門さんに借りた男物のシャツ姿で、シーツの中に身を滑り込ませて、急いで目を瞑る。
植物系のバニラがかった甘酸っぱい香りとどこか男臭い香りが交じり合い、その横には瘡蓋(かさぶた)のように甘い女の香りが張り付いていて、脳までそんな香り漬けにあいながら、平気で眠れるわけなど無い。
このベッドで、西門さんとあの女性(ヒト)は裸になって・・・と乏しいイメージながらも自ずといやらしい想像も始まって、だんだん目が冴えてくる。
自分の足の付け根の間からお臍にかけて、ムズムズと熱く感じるのはなんとかならないの?
なんだか身体の芯が落ち着かなくて、こんな所じゃ全然眠れない。
暗闇の中、どのくらい悶々としていただろうか。
私は起き出して、西門さんが眠っているはずのリビングへ近づいていった。
リビングは、薄っすら明かりが灯っていて、西門さんが眠っている場所が一目でわかった。
黒皮ソファーに長い手足を器用に投げ出し、整った顔をこちらに向けて眠っている。
瞼はきっちり下ろされて、長い睫毛が影を作ってチラリとも動かない。
眉毛から繋がる鼻梁は完璧な美しいラインを描き、思わず手を出して触れたくなりそうで、そのままキリッとしまった唇までなぞってみたらどんなだろうと激しい誘惑に駆られた。
とがったような喉仏の下に続くのは、男らしい平らな胸。
それが私を待ち構えているように見えて、座り込んでその胸にそっと顔を埋める。
「ッ・・・うおっ!・・・・え?牧野?」
頭の後ろから、心底ビックリしている西門さんの声が聞こえたけれど、私は無視して動かなかった。
「そこで、何してる?」
西門さんの顔が見えないのをいい事に、すましたように答える。
「別に何も。」
「何もって・・・。まさか、俺を襲うつもり?ククッ。」
「まさか。」
「眠れないのか ?」
「うん。
私、西門さんのことが好き。」
「・・・。」
「わかっていてね。」
「・・・おう。」
西門さんは掠れた声で返事して、暫くそのままじっとしてくれていた。
「牧野?そこで眠ってんの?」
「ううん。起きてる。」
「そろそろ戻れ。俺、限界に近い。」
「・・・?」
スクッと身を起こし西門さんの方を振り向いた。
拗ねたような顔をしている西門さんと目が合うと、早く行けという風に顔をベッドルームの方へ向けられた。
「いやだ。私、あそこじゃ眠れない。」
「じゃあ、どうするつもりだ?このまま襲われるのを待つつもり?」
「別にいいよ、西門さんなら。」
絶句する西門さんの声が聞こえ、その瞳が薄明かりの下でキラリと光る。
「お前、牧野だよな。寝ぼけてるのか?」
確かに、その時の私はいつもの私じゃなかったけれど、きっと後悔はしないってわかっていた。
西門さんが視線を反らすまで、私たちはお互い見つめ合い、少なくとも私は西門さんに抱かれる姿を視線の先にやんわりと描いていた。
つづく
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