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58.
初めてこの隠れ家に足を踏み入れてから、訪ねた回数は片手を越えた。
マンションは何もかもが新しく機能豊かで、始めのうちは感嘆ばかり。
お洒落なオープンキッチンの機能に慣れてくると、新聞を広げる西門さんを盗み見しつつ、野菜を切ったりなんかして、まるで新婚生活みたいとニヤケることもあったりして。
そんなマヌケ顔が見られやしないかヒヤヒヤしつつ、夕食作りは大きな楽しみにもなっている。
まずは、持参したボードゲームを取り出し広げることにし、西門さんを強制的にソファーに座らせた。
そして、私は地べたに割り座で座り、説明書を読み上げる。
スタート地点に自分のコマを置き、サイコロを振り、ゲームスタート。
西門さんには気の毒だけど、有無を言わさず、巻き込んじゃう。
「えっと、何々?10万ドル出資した会社が倒産・・・。どういうこと?」
説明書とにらめっこしていると、西門さんが説明書を貸せと手を出してきて、目を通すなり、あっさり解読。
「牧野は10万ドル銀行へ渡して、振り出しに戻る。」
「うそっ、いきなり出金?」
「そう書いてあるだろうが・・・。どこ見てるんだか。」
「フン。」
ムッとしながら、手持ちから10万ドル紙幣をつまみ上げ、西門さんの目の前でヒラヒラさせて上蓋の中に放り込む。
「ククッ、ゲームにそう真剣になるか。」
「悪いけどね、お金には西門さんよりず~っとシビアなんだから、ゲームでも同じなの!」
「・・・ふっ。」
西門さんは幾分表情を和らげ、上半身を乗り出して、サイコロをボードの上へ転がした。
それが転がりすぎて、テーブルから落っこちて、コロコロ コロコロ ・・・。
私の横を通り過ぎ、オーディオ機器の近くまで行きようやく止まる。
「もう、西門さん、力入れ過ぎだよ。」
「わりぃ~。」
私は四つん這いで取りに行き、いたずら心で、その場所からおもむろに西門さんへサイコロを放り投げてみる。
「うおおっ!・・・。」
「わっ、西門さん、ナイスキャッチじゃん。」
無意識に掴んだサイコロを胸の前で握り締め、ビックリしていた西門さんは固くなった身体から見る間に緊張を解いて、表情を緩めた。
そして、柔らかく口元をほころばせ漏らしたのは、太く温かい響きの声だ。
「お前・・・。」
ややあって、ふいに右手にサイコロを持ち直し、私に向かって投げ返そうとするから、ドギマギしながら両手を胸の前で構えた。
「・・・な~んて俺がするかよ。
・・ったく、牧野のスローイングは厚かましいというか、やっぱスゲエわ・・・。」
西門さんは片方の口角を少し上げ、言外の意味をたっぷり含ませながらニヤリと笑う。
「 ! 」
この顔・・・西門さんだ。
懐かしい西門さんだ・・・。
昔の西門さんにはもう会えないと何度諦めかけた事か。
再び見れた喜びは、尊く貴重で、痺れに似ていることに気付く。
懐かしく温かく、じわりじわりと胸の中に広がって、待っていたかのように乾いた表面が潤い出すのを感じた。
そして西門さんは私の気持ちを知ってか知らずかニヤリと笑い、ボード上のもう一個のサイコロを渡すようにと手を差し出してくる。
目の前にあるサイコロを拾い上げ、空(くう)で弧を描くように放り投げた。
西門さんは右手で上手にキャッチする。
少し斜めの暴投気味だったけど、ちゃんとキャッチして、サンキューって・・・。
一方通行の厚かましさにようやく慣れたと思っていた。
あぁ・・・ふいに訪れたこの展開、思いがけなく抜け出せそうな予感に全身がビリッと痺れる。
どう返事していいのか戸惑うけれど、行ったり来たりの相互通行は久しぶりの心地良さ、しばらくこのまま脱力してプカプカと身を任せてみたいと思った。
胸の奥に押し込んでいた昔の西門さんが、釣り糸で引き上げられるように浮上を始め、面白いように色んな西門さんが次々と上がってきて、頭の中には西門さんがいっぱい、次々と重なり合っていく。
静かな茶室で、お茶を点てる西門さん。
真っ直ぐに伸びた身頃から続くしなやかな腕。
きりっとすぼめられた口元は石像のように不動のまま、指先は音を成すように美しく踊る。
それから
区民センターでお気に入りの茶腕を愛しそうに見つめるきれいな横顔。
「焦げそうなんだけど・・・」と横を向いたまま言う涼し気な声色。
水戸の梅園、場違いな黒い革ジャン姿。
私の手を取り、茶会に紛れる不可解な横顔。
心を奪われそうになる銀色に光る瞳。
見つめてきた真摯な瞳。
激しくどんどん膨れ上がり、浮かんでくる昔のイメージはあっという間に大きくなって、目の前の西門さんと一体化しそうなほどの量感で眩暈がしそうだった。
私は頭を左右に振り、現実に立ち戻って目の前の男を眺めた。
ゲームボードから顔を上げた西門さんは、次は私の番だと人差し指でボードを示している。
何をやらせてもスマートな男だけれども、白いドレスシャツにはシミ一つ見当たらなくて、憎いくらいに似合っている。
・・・胸がキュンとした。
お弁当はいつもと大差ないはず、でも、不思議と格別美味しい。
一緒に過ごせることが素直に幸せで、それは聴覚や視覚、そして味覚からも感じられるものなのだ。
さんざん腹を立たされ、そして、焦がれるほどに会いたかった人が目の前にいて、普通に会話できるこんな穏やかな時間に戸惑う私。
干上がりかけた水槽に再び液体が貯まり始め、無くなり始めてようやく気付いた平穏の尊さが身にしみる。
望んだ場所で微笑むことに、感謝せずにいられない。
西門さんが美味しいと感じる顔を発見し、胸の内で高声を上げ、それだけでお腹がふくらんだ。
ピンポーン♪
リビングに入ってきたのは瑠璃ちゃんだった。
「あっ、こんにちは。」
「・・・えっと、前に、このマンションの入り口でお会いした方ですよね?」
「そ・そうです!あの時の・・・。」
「こいつ、学生のころからの知り合い。牧野つくし。」
「学生の頃からのお知り合いの方?」
そして、瑠璃ちゃんと初対面の挨拶を交わした後、彼女は用件を切り出した。
「西門さん、これ、頼まれ物の書類です。
あと、近くを通ったからこれも。専門学校なんですけど参考になるかと思って。
ここに置いておきますね。」
「手数かけたな、助かった。」
「いえ、これくらいのことならいつでも。」
そして、彼女はキッチンへ入って行き、慣れた手つきで冷蔵庫を開け、手に持っていたスーパーのビニール袋を袋ごとしまい込んだ。
私は地べたに座り込んだまま、瑠璃ちゃんがあいかわらず可愛らしく西門さんに尽くしている様子を眺め、他の男と楽しく笑っていたのを思い出さずにいられない。
一体全体、西門さんとどういうつもりで付き合っているのか、喉元まで声が出掛かり、急いで唾を飲み込むと、次に瑠璃ちゃんは西門さんのベッドルームへ当然のように入っていった。
ヒャ・・・入っていったよ。
西門さんを振り返れば、説明書を手に取り読んでいた。
「ねえ、西門さん、彼女のことよくわかってる?」
「は?」
私は、鼻先を西門さんのベッドルームの方へ向ける。
「ああ・・あいつのことか、わかってるつもりだけど。それが、何?」
「・・・。」
「叔母が何かと不便だろうからって付けてくれたんだよ。
あいつ、手術直後は泊まりで世話してくれたし、通院や買い物・・・外出の時はいつも付き添ってくれて、地元に詳しいし、よく気がつくし、便利な奴だから。」
「でも、それだけじゃないじゃん。でしょ?西門さん。」
「・・・。」
「あのさ、二人でちゃんと話し合ったほうがいいと思うよ。」
「牧野、何が言いたい?
強引に入り込んで、男女交際について干渉?」
「・・・っ!?そんなつもりはないんだけど、ただ心配で。」
「それは心配じゃなくて、ジェラシーという面倒くさい感情?」
「違うよ!!まっ、そりゃ、全部は否定できないけどさ・・・はは。
でもほんと、これは違うのよ。
例えば、西門さんが知らない事に、女の私が気付いてしまった場合だってあるでしょ。」
「何だよ、それクイズか?
俺が知らなくて、女の牧野が気付いてること?
そんなのあるか?」
「んも~、例えば、二股かけられてるとかさ。」
「俺が二股かけられてる?
まっ、それはあるかもな。俺は、その点、寛容なの。」
「えっ?ありなの?」
「そりゃあ、仕方ないだろうが。」
「ちょっと待って西門さん、決まった相手でもってこと?」
「牧野、それは具体的に瑠璃ちゃんを特定して喋ってるのか?」
私は答えずに黙っていた。
すると、沈黙を破るように背後から女の人の声がした。
「西門さんとは身体だけ・・・了解済みですから。
私、ずっと愛してる人がいるんです。」
振り返ると、瑠璃ちゃんが平然と立っていて、清純な表情を湛え私を見つめていた。
驚いて、西門さんと瑠璃ちゃん二人を代わる代わる眺めたけれど、どちらの眉もピクリとも動かず、お互いの瞳には種火さえ灯ってない、二人とも平静そのものと結論づく。
「愛してる人って、今日一緒に歩いていた眼鏡かけてガッシリした男性(ヒト)だったりする?」
瑠璃ちゃんは小さく頷いた。
西門さんは、溜息とともにドシリとソファーの背もたれに身体を倒したようだ。
「でも、何故?瑠璃ちゃんみたいな真面目そうな子が、どうして?
西門さんに無理矢理・・って訳じゃないよね?」
「おい!俺は犯罪者か?」
「いいえ、西門さんには感謝してるんです。
どうにもならない袋小路ってあるんですよ、そんな時に西門さんに出会って、思い切って飛び込んだ。
・・・だって、西門さんって誰が見ても素敵って思う人でしょ。
彼は詮索せずに優しく抱いてくれました。」
「あのさ、男にしか女を救ってあげられない時もあるんじゃないか。」
西門さんはこの話を締めくくるようにそう言ってから、立ち上がった。
お互い納得済みって事は私にもわかった。
男女の間のことなら、私が口を挟むことじゃないだろうし、わかったようなわかっていないような割り切れないままでいい話なのかもしれない。
でも、どうもしっくり来ない。
やり過ごせない。
金沢駅で見た瑠璃ちゃんと眼鏡の人の姿が浮かぶ。
仲良さそうにしていた二人の障害って何だろう。
不倫?
私は黙ってられなかった。
「西門さん、全部、知ってたの?」
「まあな。」
「瑠璃ちゃん、相手の人とこれからも不毛な関係を続けるつもり?
それでいいの?
それで幸せになるの?
そんなに愛してる人なら、奥さんか瑠璃ちゃんかちゃんと選んでもらいなよ。」
「ふっ、牧野さん、あの人はね、結婚適齢期の独身男ですよ。」
「独身?」
ゆっくり頷く瑠璃ちゃん。
「じゃあ、どうして?」
「・・・血の繋がった実兄なんです。」
「は?実兄って、お兄さんってこと?」
「そ、こいつ、ブラコンなの。ブラザー・コンプレックス。
誰にもどうしようもない関係。」
「私、ずっと兄が好きで結婚する気でいたんですから、ふふっ。
兄とはキスまでの関係。
その先は怖くて進めなくて、断ち切りたくても離れられなくて、兄も私も苦しんでいました。
何かの悪い因縁なのかとお祓いなんかもしてもらいましたけど、結局、ずるずると感情を引きずって、そんな時に西門さんと出会ったんです。」
呆然としたまま、西門さんに視線を向けると、西門さんは素知らぬ顔でサイコロをボードの上に転がして、綺麗な指で私のコマを摘み上げた。
つづく
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