"信じてる"カテゴリーの記事一覧
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shinnjiteru1 1.
毎日カチカチ動き続ける時計の針のように、ただひたすら無心に進めればいい。
喜びや嬉しさだけ残して期待や満足が無くなれば、きっと楽に居られるはず。
だけど、繰り返される食(ショク)と寝(シン)がどんどん太らせていくんだ、私の胸に蔓延する不安を・・・。
『道明寺・・・』
英徳大学卒業式の一週間後、突然NYから帰ってきたあいつ。
道明寺財閥次期社長というプレッシャーを乗り越えたあいつは、声掛けることも躊躇されるくらい男として大きくなって帰ってきた。
世界経済の中心地NYでは、日本を背負う財閥の後継者だからといって、甘えが許されるはずも無く、
重ねてマイノリティーというどうしようもないハンディーを背負ってビジネスの門をくぐった道明寺。
若干22そこらの青年にとって、どんなに大変だったか想像するに余りある。
そして、いつのまにか目まぐるしく変る情勢にも肌が馴染み、少なからず影響を与えられることを覚えた時、一体どんな衝撃があったというのだろう。
私には、見当もつかない。すっかりビジネスの魅力に取りつかれた眼差しで、熱く語る仕事の話に、どう転んでも付いていけなかった。
結局、道明寺は私を置いてNYへ再び帰ってしまった・・・。
別れたわけではなく、もう少し待ってくれという言葉と明るい笑顔を残しタラップへを上る後ろ姿は、滋さんの島で私を求めてくれたあいつとは全くの別人だった。
何度も何度も蘇ってくるあの後姿・・・。
私は、あの瞬間からずっと、胸の中に煮え切らない漠然とした不安を抱えて過ごしている。「牧野さ~ん、なにボーとしてるんですか?」
「あっ、平野さん、えっと、なんだったっけ?」
「3番に電話ですよ。花沢さんからです。」
「はい、ありがとう。回して。」
Trurururururu
「はい、牧野です。」
「もしもし、俺・・・。」
「類?お帰りなさい。もしかして、帰ってきたばっかし?」
「うん、そう。 まだ、空港にいる。例の物、渡したいから今晩あけてよ。」
「え~?ちょっと予定がきついんだけどな。 仕方ないな、私が頼んだものだしね。」
なんだかんだ言っても、類と話すのが好きだから予定を空けてしまうのは、いつからだろう。
つづくPR -
shinnjiteru2 2.
花沢類とは、相変わらず付かず離れずの関係で、仲間で飲み会に行くのとは別に時々二人で食事しては、愚痴を聞いてもらっている。
「まだ、司に電話して無いの?」
「忙しそうだし、共通の話題がないんだもん。」
「牧野、意地張ってないで、会いに行ってきな。」
たまにかかってくる道明寺からの電話は、なんの予感もなくいつも突然で、簡単な近況報告をした後、ちょっとした沈黙があって、その後、たいてい道明寺が新しい話題を拾ってくる。
滋さんの島で見た道明寺の熱い瞳やはずむ息遣い、それから、手のぬくもりや広い胸はどんどん想い出の片隅へと姿をひそめ、代わりにどんどん大きくなる機体へ消えていった背中。
道明寺と付き合っているという実感を、どうやったら取り戻せるのか考えても途方に暮れるばかり。
肝心な話題は棚にあげて何一つ話せてないのが、私らしくないってわかってる。
でも、突き詰めて話せば、絶対に修羅場になるだろうから、まだそこまで根性が座ってないというか・・・、出来れば避けたい。
道明寺は、私がこんな気持ちを抱えてること、気付いてるのかな?
「今のまきのは、昔のまきのと違うね。なんていうか、しおらしくなっちゃった。」
「それ、どういう意味? 昔は、じゃじゃ馬だったって言いたいわけ?」
「くくっ、じゃじゃ馬ねぇ・・まっ、俺は今のまきのも好きだからいいけど。」
「は?」
「あっ、そうだ。はい、これ頼まれていたもの。」ニコリと微笑みながら、一冊の本を差し出している。
「ありがとう。えっと、・・・、歌麿、歌麿っと・・あったよー。よかった、本当に助かったよ、類。
フランス国立ギメ東洋美術館には、日本からカンボジアとかまで色んな作品があったでしょ?作品の配置がフランスらしいって聞いたけど、どう思った?」
私は、フランス出張の類にギメ東洋美術館収蔵日本美術品を網羅した写真集を一冊買ってきてくれるように頼んでおいた。
というのも、出版社で配属された部署は、どういうわけか美術品についての著作本や雑誌を担当する部で、曲がりなりにも雑誌のコーナーを一つ任されている。
雑誌のターゲットは、人生に余裕のあるアッパークラスの人々。
彼らの飽くなき好奇心を満足させるべく世界中から美術品の名コレクションをピックアップして紹介しているのだ。
今回、喜多川歌麿の浮世絵をフォーカスしていて、ギメの所有する作品について詳しく知りたかった。
「茶室があってさ、総二郎にお茶立ててもらいたかった・・・。」
「なにそれ。」
「日本のものは、日本にあるのが一番しっくりくるって思うよ。」
フランスもアメリカも、飛行機で行き来できる便利な世の中だけど、やっぱり相容れない異質な土壌なんだよね。
「ねえ、類、道明寺はどうして日本へ帰ってこないのかな?」
「噂で、アメリカ全土にチェーン展開しているシアトル本社の中規模食品販売会社を吸収合併するって聞いたから、忙しいんじゃない?」
「忙しいんじゃ仕方ないっか。」
「まきの・・・。」
その後、類のリモで家まで送ってもらうと、アパートの前に、一台のバイクとオレンジ色に燃えるタバコすら美しい所作で操るすらりとした男の人の影が見えた。
「西門さん?」
「よぅ、牧野。 類と一緒だったのか。 お前、茶碗のことで聞きたいってメッセージ残してただろ?」
「それで来てくれたの? ちょっと待ってて、今開けるから。」
「おぅ。」
「類もあがってく?」
「あがってく。」
つづく -
shinnjiteru3 3.
時計の針が、刻々と明日を迎える時間に近づいている。
こんな遅くに大男を二人も家に上がらせる私を近所の人はどう見ているだろうか・・・。
もし優紀が同じことをしていたら、どういうつもりか即刻相手の男に問いただしてしまうに決まってる。
でも、こうして限られた空間に異性がいると、少なからず穏やかな心になれることに気付いたのは最近のこと。
私の中に残っている貞操感が弱々しく黄色信号を灯していることに、かろうじてまだ道明寺とのつながりを感じ安心しているのかもしれない。
私は道明寺の女なのだ!と誰かがナレーターのように話す。
チカチカ光る黄色い光の中に、楽しかった思い出の一コマがスライドバックし、私は目を見開いて精一杯思い出そうとする。
くすぶっている不安がほんの少しだけ忘れられるひと時だ。
もちろん異性といっても、F4以外を部屋へ招き入れたこともないし、そのつもりもない。
ここにいる二人と今日はいないもう一人の男は、私の恋人の親友であり私の大事な友達だから特別なのだ。
「おい、類、ベッドで寝るなよ!一応、牧野も女なんだからな!」
「だって、そこ、総二郎が座ってるから狭いんだもん。」
「一応女で悪かったわね。 あんた達が大きすぎるんじゃない・・・。」
「牧野、お前も女なんだから俺らでもちっとは警戒しろ!」
「なんで?だって、友達じゃない。」
「もしかして豹変するかも・・・とか少しも思わないわけ?」
「全然、思わないもん。」
ちょっとだけなら、嘘も方便。平然と言い返した。
西門さんは、考えこんだかと思うとすっと立ち上がり、安物の長脚テーブルに急須を置いたばかりの私の腕をとった。
そして、ニヤリと口門を上げながら、その長い人差し指でツツーッと手の甲から肘の内側までソロリとなぞった。
「これでも何も感じない??」 憎たらしいほど整った顔を近づけて挑発するやつ・・・。
「ひえ~、ちょ、ちょっと、何するのよ~!にしかど~!!」
「総二郎、まきのが嫌がってるからあっち行って!」
ベッドでもう眠っているかと思っていた類が、顔だけこっちに向けていた。
「おい、類がそんなんだから牧野がおかしくなるんじゃないのかよ! 友達だったら、もっと牧野のこと考えてやれよな。」
「うん、考えてるよ。」
「はい?ちょっと、類まで何を“うん“なんて頷くわけ?あの~、私のことは大丈夫ですからご心配なく・・・。」
「お?これは、ギメの写真集か・・・。」
テーブルの上に置いてあった写真集に目をやった西門さんは、手にとっておもむろにパラパラとページをめくり始めた。
話題が反れたことにほっと安堵し、今回取り上げている作品のために類に頼んだことや現在の進行状況を一気に話した。
「喜多川歌麿の絵は、色っぽいよな~。多色刷りで濃厚な色料を使うから、生々しく見えるんだ。モデルも細い体つきで艶かしいだろうが・・・?」
「西門さんらしい意見だよね・・・。」
「牧野、お前は分かってない。
何故、貴族の文化だった浮世絵が江戸時代に町人文化へと広がったか想像できるか?
それはな、俺が思うに、いつの時代も異性への憧れが不変だからだ。 歌麿は、繊細な男女の機微や心理描写を上手く表現するのに長けてた。
だから、爆発的に人気が出たんだ。」
「へぇ~。」
「なんだ?その気の抜けた返事は。お前なぁ、雑誌の編集者だろうが、ちっとは勉強しろ!」
そういって、西門さんは私の頭を大きな手で押さえ込んだ。
西門さんには、以前も茶道具の一つ茶筅について色々教えてもらった。
その時もその知識の正確さと造詣の深さに感心したものだ。
さすが西門流時期家元だと感嘆しつつも、なんだか美術品全般における博識ぶりがまぶしくて、お茶だけの世界に留まるのがもったいなく感じた。
「そうだ、思い出した。 西門さんにお願いがあるんだった。
その西門さんの力を貸してほしいの・・・。私の雑誌コーナー[男の美学]に原稿を書いて欲しいの。できれば、お気に入りの茶碗について・・・。どうかな?」
「原稿?」
片方の眉毛を持ち上げ、ジロリとこちらを見る西門さん。
生き生きと美術品について語る西門さんの姿が心に留まっていた私は、会社でふと原稿依頼を思いついたのだ。
「そう、大して原稿料出せないんだけど、西門さんの名前と写真が出るから良い宣伝にもなると思うよ。 ね?お願い!」
「考えといてやるよ。牧野の頼みだからな・・・。」
少し後方に頭を反らして私を見下ろす西門さんの瞳が、蛍光灯に照らされて銀色に光って見えた。
つづく -
shinnjiteru4 4.
進が初めて彼女を連れてくると大騒ぎするパパとママに呼び出されて、ひさしぶりに実家へ行った。
現在、私は家を出てるから、パパ・ママ・進の三人で暮らすアパートだけど、やっぱりあいかわらず狭い。
進の彼女は、想像と違ってとてもハキハキした娘だった。どちらかというと守ってあげたくなるような大人しい女の子が好みだと思い込んでいたので、
なんだか戸惑っているうちにきれいなお辞儀をしてくるりと背を向け、進に微笑みかけるあの娘に置いていかれた気になる。
「つくし、あんた、道明寺さんとうまくいってんの?」
ふいに、ママに痛いところをつかれ、口ごもる私。
「NYへ行ってしまったんだから、この際花沢さんに取っ替えたら?」
「この際ってどの際よ~、ママ、冗談でもそんなこと言わないで。まったく・・・。」
「冗談だわよ~、何本気で怒ってるの?道明寺さんを大事にしなさいよぉ!あんな三拍子そろった人は他にいないわよ。」
帰り道、ママに言われたことを思い出しながら、バスに揺られていた。
真っ暗になった風景を見るつもりが、窓に映った自分の顔に視線が止まり吸いたように離れなかった。
窓には私の顔がくっきり写っているのに、黒い影でよく見えない表情が誤魔化し続けている私の心とぴったり重なっているように見えたからだ。
『今夜は、道明寺に電話しなくちゃ・・・。必ず・・・。』
Trurururuuruu・・・・・ trururururuuru・・・・・・
カチャ
「まきのか?」
「あっ、道明寺? ごめん、まだ仕事中だよね。」
「いや、構わねえよ。どうした?何かあったのか?」
「ううん、別に何も・・・。あ・あのさぁ~、元気?」
「あぁ・・・、元気だ。お前から電話くれるなんて、今日は槍でも降ってくんじゃね?」
「槍って・・・あんた。言うなら、雨にしてよ・・・。」
「じゃあ豪雨ってとこだな。」
それから近況報告をした。
花沢類が言ってたとおり、道明寺はアメリカの食品会社を吸収合併するのに忙しいらしく、語学と経済の勉強をしつつ寝る間も惜しんで働いているそうだった。
「お前、夏こっちに来れないか?」
「まだ新米だから、夏休みの予定はわかんないよ・・・。」
「それぐらいどうにでもなるだろうが・・・。おっ、わりぃ~時間だ。
お前、きょときょとするんじゃねえぞ! 電話ありがとうな。」
道明寺の笑顔が見えるようだった。
言い合えたのが懐かしかったけど、充実した仕事の話を聞いてもBGMのように聞こえて、何を置いても私だけを求めてきた男の姿はもうどこにもなく、
これが社会人になるという事なのだろうか・・・と納得できる答えを探そうとした。
私だって、今は出版社で働いて担当までもらっているから、簡単に休めるわけない。
道明寺は、私が働いてる姿を見たこと無いんだもんな・・・。
携帯を見つめていると、けたたましく携帯の呼音が鳴った。
発信者は西門さんだった。
「はい、もしもし・・・」
「よぉ、俺。起きてたか?」
「うん、目はパッチリだよ。」
「こないだの原稿の話、受けるわ。」
「ほんと?よかったー。」
たちこめた霧の中に、細く明るい光がサッと差し込むようだった。
なんの根拠も無いけど、全てが良い方向に行くような気がして、笑顔になる。
「西門さん、本当にありがとう!」
「なんだよ、まだ書いてねえぜ・・・。」
「どんなレイアウトがいいかな・・・?早く読んでみたいな、楽しみだよー。」
「くくっ、牧野にそんなに喜んでもらえたら、お兄さんは嬉しいよ。つくしちゃんからの報酬、期待していいの?」
「は?だから、少しだけど会社から・・・。」
「なんなら初めてを捧げてくれるとか・・・?」
「///// 何、言ってるのよ、もぅ!!!」
「やっぱし、まだだったのか・・・。だから、お前ら不安定になるんだよ。
いい年した男女のすることといったら一つだろうが・・・。それで、喧嘩の仲直りができることもあるし、つながりが深まって安心することもある。」
道明寺とそんな関係になったらその後どうなるんだろう・・・って考えなかったわけじゃない。
もし、道明寺がNYへ行く前にちゃんと抱かれてたら、私の体がもっとあいつを恋焦がれてたのかもしれない・・・。抱かれるってそういうことかもしれない。
その手のことは、やっぱり西門さんが言うとおりなんだろうな。
せっかく晴れたと思ったのに、再び霧がたちこめアパートの空気が重くなった気がした。
部屋の空気が変ったことなど関係なく、ベッドの目覚まし時計はカチカチと小気味よく時間を刻み続けている。
私の感なんてあきれるほどあてにならない。良い方向へ行くなんて、全くの気のせいだと叩きつけられることになるとは、まだこの時は想像もできなかった。
つづく -
shinnjiteru5 5.
雑誌の仕事に携わるようになって、日本には世界に誇れる芸能があることに今さらながら気付いた私は、西門さんを口説き落としてお茶を教えてもらい始めた。
「牧野、だいぶ型がはまってきたな・・・。次のお茶会に客として来れるな。」
「客という事は、お茶とお菓子をいただくだけでいいのよね?」
「まあ、最初はそれで精一杯だろうな・・・。その次は初釜だし、丁度良い練習になるだろう。」
「私、着物なんて持ってない。」
「じゃあ、あとでお袋に頼んでやるよ。なんかあるだろ。」
着物で臨むのも一つの経験、ここは恥をしのんで西門さんのお母様にお願いすることにしよう。
「もう一服飲むか?」
「いいの?」
右に頭を傾け少し口角を上げながら視線を茶碗に移す西門さん。
それにしても、以前に比べると少なくなったとはいえ、あいかわらず女の子と遊んでいるというのに、お茶を点てる姿は凛として世俗のにぎやかさと無縁のような風貌を漂わす男。
真っ直ぐに伸びる背筋を上へとたどると、バランスの良い頭部へ続き、黒い前髪が妖しく額にかかっている。
きれいな鼻筋と時折伏せる睫毛はこの部屋の装飾品といっても過言でないくらい行き届いていて見入ってしまう。
神様は家元にふさわしい美貌まで与えたのだろうか・・・。
お稽古用の紬であろう着物さえ、正絹のような気品を感じさせ、衣擦れの音が耳に心地よく響いている。
茶杓を手にする西門さんの右人差し指がスーッと柄の部分をスライドすると、以前、西門さんにふざけてなぞられた感触を思い出し、体がゾクゾクッっとした。
「牧野!早く取りに来い。」
「は・はい!」
「ボーっとするな。茶をいただく側にも、相応の姿勢が必要だ。亭主のもてなしの心を味わう受け皿がないと、客も務まらないぞ。」
西門さんに全部お見通しなのではとヒヤヒヤしながら、茶碗の側へにじり寄り、白い湯気を見つめて右手を伸ばした。
「牧野。」
「はい。」
「お前、顔赤いぞ。」
「 /////////。 」
「くくくっ、おもしれぇ、トマトみたいになってるし・・・。」
私は、言葉の代わりに思い切り睨んでやる。
まだ口元に笑いを残したまま、知り合いのギャラリーへ茶碗を見に行かないかと誘ってくれる西門さん。
「お前んとこの原稿も、そろそろ書き始めないとな・・・。」
それって、遠まわしに恩を売ってる・・?気のせいなのかなんなのか、この男にかかったらわからなくなる。
悔しいから「夕飯付きなら・・・」って突慳貪に返事した。着物から普段着に着替えた西門さんに連れられて、目当てのギャラリーへやって来た。
グレイの綿パンに黒皮ジャケットを羽織った姿は、途端にいろんな絵の具をぶちまけた世界の似合う姿に変身していて、
前髪をかきあげる仕草に周りの女の子達が色めき立っている。
せっかく習うんだからビシバシ教えてねと頼んだものの、稽古中は真剣な顔で厳しく叱ったりするから、最初はびっくりした。
茶道では厳しい姿勢を見せるのに、目の前の男は栄徳の延長線上にいる軟派男。
それでも、背負わされた重責を思うと、上手くやってると思う。
「ねえ、このお茶碗の柄も色もきれいだね。」
「ああ、これは清水焼の抹茶碗だな。 鮮やかできらびやかだから、女性に人気なんだ。 更って覚えてるか?あいつも好きだったんだ。」
「更さんでしょ?もちろん、覚えてるよ。元気かな?」
「さあな・・・。」
ガラスケースからもれてくる白い光に照らされた横顔が、遠くを見る少年のように見えた。
更さんは、昔、西門さんが好きだった人だ。優紀が西門さんに革命を起こしたって聞いたけど、確か更さんがらみだったと思う。
詳しくは聞いてない。
「西門さんも、お見合いとかするの?」
私は、何故だかつかみどころの無い西門さんに向かって、小石を投げたくなった。
「するだろうな・・・。まっ、まだまだ先のことだ・・・。行くぞ!」
鼻先で、透明の扉がパタリと閉められる。
いつもクールな面持ちでいる西門さんが、私に愚痴をこぼすことなんてありえないだろうけど、扉の向こうにどんな西門さんがいるのだろう・・・という考えが頭をよぎった。
つづく -
shinnjiteru6 6.
地下から地上に出ると、夏の盛りを終え冬の準備をする銀杏並木が続いていた。
それでも、半袖のシャツからのぞく両腕はまだ夏を感じるらしく、少し焼けた肌を太陽の下に晒したがる。
私は、会社までのこの通りが好きだ。
地下出口から見上げる空は、いつも同じ額縁の中に納まって人々を公平に誘い出す。
一歩踏み出すごとに明度をあげていき、最後の一段に両足が付いた時、並木の世界がふわりと優しく包んでくれて少し幸せになる。
あと半月もすると、芥子(からし)色に通りが染まるだろう。
冬支度を始める木々のように、私も前に進まなければいけない・・・。
考え事をしながら、会社のエレベーターを降りた。すると、向こうから同僚の平野さんがすごい勢いで走って来るのが視界に入る。
「ちょっと、牧野さん!ずっと、彼氏がお待ちですよ!!」
「はぁ?」 思考がクネクネして、間抜けな返事しか出来なかった。
「牧野さん、彼氏居るって噂で聞いてましたけど、そりゃあ、あんなものすごい凄い人と付き合ってたら、ペラペラ話せませんよね?
もう、びっくして腰抜かすところでした・・・。フロアに激震が走りましたからねー。」
「えっ?・・・えーっ?!!」
まさか、まさか、まさかだよね?
でも、俺様のあいつなら突然やってくるのも、むしろ当然かも・・・。
そんなこと、ここ5年余り無かったけど、あいつが帰ってきた・・・?
「で、今どこにいるのぉー?」 平野さんに向かって、大声をはりあげ睨みつけるように尋ねる。
「デ・デスク・・・に・・。」
ヒールがポキリと折れそうなくらい思い切り走り、ドアを蹴飛ばす勢いで開け、自分のデスクにカツカツ近づいて行った。
飾りっ気のない机の前に座っていた人物を、急いで視界に入れる。
その男は、私を視線の先に捉えるやいなや、スローモーションのようにゆっくり片手を挙げてニッコリ微笑んだ。
いつもと変らないガラス玉のような瞳で・・・。
「あん、あん、あんた!何でここにいるの?」
素っ頓狂な声に我ながら情けなくなったけど、出したものは戻らない。
「迎えに来るって言ったでしょ?」
悪びれもせず、飄々と答える類には、今の私の気持ちなんて説明するだけ無駄な気がした。
「一応、牧野がお世話になっているし、挨拶もしとかなきゃね・・・。社長に応接間で待つように言われたけど、こっちの方がいいからここで待ってた。」
お母さんにいい事を報告した後もなお、ずっと見つめ続ける子供のような類・・・。
「類、ここは職場なんだから、目立つでしょ?」
とにかく、刺さるような視線から早く逃れたい一心で類の相手もそこそこに、手早く片付けて、帰り支度をした。類とエレベーターに乗り込むなり、今後は職場に訪ねてこないようにしっかり釘を刺し、
もし、またやったら、もう迎えに来なくていいからと言うと、途端に寂しそうな表情になるから、言いすぎたかなと良心がチクリと痛んだ。
類だって、悪気があったわけでは無い。
うちの会社は類の会社と提携してるから、挨拶だって仕事上当然あってしかるべき。
仮にも、私のために挨拶をしたと言っていた。そう思い始めたら、頭ごなしに類に叱ってしまった自分が悪かったとどんどん思えてくる。
「類、さっきはごめんね。言い過ぎた。」
「よかった。いつものまきのだ・・・。」
高校生の頃から変らないガラス玉の瞳が、とても嬉しそうに私を見つめた。
道明寺がNYへ行って寂しくなった頃、見計らったようにふらりと姿を見せて、私を和ませてくれた類。
いつの間にか自然に、花沢類のことを類と呼ぶようになった。
約束の4年が過ぎてからも、それは変わりない。
けれども、私の変化に一番早く気が付いた類は、事あるごとに道明寺に会えと言う。
けれども、その度、色々言い訳して誤魔化しているのだ。
類の心配がとてもありがたいのに、いう事も聞かず、お礼すらできていない。
申し訳なくて、類が大好きだと言ってくれる笑顔を向けると、白い歯を覗かせて大きく微笑んでくれた。
そもそも、今日は桜子のお店がオープンするので、みんなでお祝いに行くことになり、類が迎えに来てくれる事になっていたのだ。そして、類のところの車で桜子のお店までやってくると、中には既に何人かの人達が来ていて、シャンパングラスを片手に立ち話をしていた。
お店は表参道大通りに面する商業ビルの一角にあって、内装は桜色で統一されていて、 桜子が選んだビューティー・グッズやアクセサリー、アウトフィットがずらりと並べてあった。
驚いたことに、アウトフィットは全てお犬様とお揃いで用意されている。
「桜子、オープンおめでとう!」
「花沢さん、先輩!!来てくれたんですね、ありがとうございます!!」
「これ、全部、犬とペアルックで着れるの?」
「そうですよ。どうです?かわいいでしょ?」
「桜子、本当にこんなの犬が着れるの?」
すぐ横に置いてあったスケート選手が着るような濃い青色のラメ付きレオタードを指差して聞いた。
「これは、一押し商品ですよ。今、スケートブームですから、人気出ると思います。」
話していると、そこへ西門さんと美作さんが揃ってお店に入ってきた。
「「よぉ!」」
「いらっしゃい!来てくださって、桜子、嬉しいです!」
「すげえピンク・ピンクした店だなぁ・・・。」 店内を見回す美作さん。
ライトピンクのストライプシャツに茶系のスラックスをはいている美作さんは、いつもラブリーな物に囲まれているから、案外抵抗が無いようだ。
「桜子、この店ピンクすぎて、落ち着かねぇぞ。」
黒の革ジャンに黒く光るつま先のとがった靴で、店内を歩く西門さんが言う。
確かに、西門さんにはこの甘ったるい雰囲気は似合わない。
「西門さん、これは桜子のテーマ色なんで、色は変えられませんから!女の子には、幸せを連想する色だと思うんですけどね・・・。ねえ、先輩?」
「そうかもね・・・。満開の桜を見てると、幸せな気分になるよ。」
「そうですよねぇ?!いい色です。」
私の答えに満足した桜子は、鼻をフンと鳴らして西門さんを見返した。
店の端にはシャンパンとアペタイザーが用意されている。
西門さんは、肩をすぼめてドリンクコーナーへ退散した。
つづく -
shinnjiteru7 7.
滋さんと合流したあと、場所を南仏料理店に移して改めて乾杯しなおした。
話は、桜子のお店設立の話から、当社の雑誌で広告掲載できないか。
そして、私の担当コーナーの話。そのコーナーに載せる原稿を西門さんに依頼したことへ移った。
「原稿は、初釜が終ってからでもいいんだったよな?」
「うん、急がないのでお願いします。西門さんの企画はスペシャルだから、原稿見てから考えるつもり・・・。」
「へえ~、牧野も編集者らしいこと、言うようになったな。」 と美作さん。
素直に耳を通過する美作さんの言葉に、少し気分がはしゃいだ。
「こないだは、西門さんにギャラリーへ連れて行ってもらって、茶碗のことや置いてあった美術品のこと色々教えてもらったんだ。
知れば知る程味わい深くて奥が深いんだよね・・・。西門さんって、お茶だけじゃなくて、色々詳しくて見直しちゃったよ。
何でも答えてくれるから、歩く美術辞典かと思ったよ!うちの会社にいたら、引く手数多(あまた)だね・・・。」
西門さんに向かって笑いかけたのに、西門さんの目線はちらりと類へと走り、それから私へ戻った。
「おいおい、なんだよ見直したって・・・。
茶道というのは、茶道具だけでなく、美術品全般、生きる考え方・目的、宗教まで含蓄に富む総合芸術なの。 知っていて当然だ。
牧野、もっと勉強しろ!俺に頼るなよ!」
「つくし、お茶も習い出したんだよね?滋ちゃんも一緒に教えてもらおうかなぁ。」
「うん、日本にはすごい文化があるんだから、勉強しなきゃもったいないよ。こんなすぐ側に、すごい先生もいるしさ・・・。」
「ねえ、つくし、NYへ一緒に美術品を見に行かない?!滋ちゃん、新しくなったMOMAにまだ行けてないんだよねー。
あっ、MOMAには東洋モノはないかな?じゃ、MetのJapanese Section見に行こうよ!結構立派らしいから、つくしの仕事にも役立つんじゃない!」
突然の話にびっくりしたのと、行き先がNYなだけに返事に困っていると、類が私の心を見透かしたように言う。
「まきの、夏休みまだ取って無いでしょ?」
「うん、この時期だと取れると思うんだけど・・・。」
「ヤッター!なら、決まりね!桜子も一緒に行こうよ!」
「NY、いいですねぇ。でも、桜子は当分お店から離れられませんから、今回はお留守番します。」
『 ニューヨーク ・・・・ 』
この都市の響きは、道明寺に冷たく追い返され、バッテリーパークで途方に暮れ、震え泣いた経験を思い起こさせる。
あの時、類がいなかったらどうなっていたのだろう・・・。
身も心も冷たく凍えそうになっていた私を、優しく包んでくれた類。
ゆっくり顔を上げ、類にどんよりした視線を向けた。
類は、まっすぐ私を見守ってくれていた。
そして、『会ってきな。』と言わんばかり、頷いた。
いい加減ズルズル悩むのは止めなきゃ、気持ちをハッキリさせて前進したいと思っていた矢先の滋さんからの誘い。
言葉に出さないけど、皆、私と道明寺のこと心配してくれている・・・。
道明寺のことが好きだった滋さんは、見ていられないのかも知れない。
今、動かなきゃだめだ。
断る気は起きなかった。
「滋さん、ヨロシク・・・。」
思い切り滋さんに抱きつかれながら頭に浮かんだのは、今まで何百回と考えていたこと。
『道明寺の顔を見て、どんな話をしよう・・・。』
『会ったら、どうなるんだろう・・・。』
会えば簡単に昔に戻れる?
楽しく言い合える仲に戻れるのか、それとも、はっきりと別れることになるのか、どちらか一つしかないような気がした。― ニューヨーク -
私は5日間の休暇をもらい、12時間強のフライト後、ようやくNYに着いた。
道明寺にNYへ行くことを連絡したら、とっても喜んでくれて、JFK空港に迎えを寄越すから、あとは俺に任せろと言われた。
時差というのは、本当にやっかいだ。
体のリズムは一日の終わりのクールダウンを示しているのに、着いた場所は真昼間で、しかも、これから充実した半日が始まろうというのである。
まったく、面食らう。
到着ゲートから出ると、いっせいにたくさんの視線に出迎えられる。
中には、顔も知らない相手を待っているのだろう、待ち人の名を記した白い紙を胸の前に掲げながら、目を凝らしている男が何人もいた。
その中に、ピシッとスーツを着こんだ懐かしい顔を見つけ、会釈する。
「ようこそNYへ、牧野様、大河原様。」
「西田さん、お久しぶりです。今日は、プライベートなのに、わざわざお迎えに来ていただいてすみません。」
「いえいえ、私も牧野様とまたお会いできるのを楽しみにしていましたから・・・。どうぞ、こちらへ。」
建物を出ると、とたんにNYの空気に包まれた気がする。
高架の下にいるせいか、周りの人々の身長が高いせいか、なんだか空気が息苦しく感じた。
私たちを乗せたリムジンは、白く大きなShea Stadiumの横を通り、Bronxをぬけスイスイ進んでいく。
「つくし、今日は道明寺に会えるのかな? 連絡してみたら? 」
「う・うん・・・」
携帯を取り出そうとすると、助手席に座る西田さんが道明寺からの伝言だと告げる。
「司坊ちゃんは、今晩のご夕食を一緒にされるそうですが、それまではご自由にお過ごし下さいとのことです。」
そして、車は一般道を走り、豪邸街の中へ進んでいた。
視界に入った道明寺邸は、あの時の姿のまま威圧感を感じさせている。
玄関の車止めで静かに車は止まった。
つづく -
shinnjiteru8 8.
玄関ホールには、数人の使用人と杖を突いてるセンパイが立っていた。
「つくし、久しぶりじゃないか・・・よく来たね。」
「タマ先輩、ご無沙汰しております。お元気でしたか?」
「心配事がいっぱいで、なかなかあっちへ行かせてもらえないねぇ・・・。」
「タマさん、しばらくご厄介になります!」
「大河原のお嬢様だね・・・、いらっしゃい。」
そして、私は道明寺の部屋へ通された。
「センパイ、ここは道明寺の部屋ですよね?困ります!絶対、困ります!」
「なんだい、久しぶりに会うんだろ? 司坊ちゃんは、忙しい方だから一緒に入れる時間は短いんだよ。一緒の部屋のほうが良いに決まってるじゃないか。」
「でも、まだそんな・・・あの・・・。」
「さっさとやっちまいな! つくし、あんたいくつになったんだい?
坊ちゃんは、24にもなってもう立派な青年だよ。いつまで、待たせんだい!早く、孫の顔でも見せて安心させてくれなきゃ、死んでも死にきれないじゃないか・・・。」
「はぁー。」
タマ先輩にギロリと睨まれると言い返す言葉も空に散り、部屋を出ていく先輩に何故だかお礼まで言って見送った。
年の功と共に、益々凄味がでてくるタマ先輩・・・。でも、ヤバイよ、この状況。
まるで、猛獣に食べられるのに、わざわざ檻に入っていくバカウサギみたいじゃないのよ。
部屋の中を狂った動物のようにウロウロしながら、どうしようかと頭をひねっていた。
Trurururururururururuuururu・・・・・・・・
「ひ・ひぇ~、何?電話?」
恐る恐る受話器を取ると、明るい声の滋さんからだった。
これからハドソンリバーまで行かないかと言う。
NYの9月下旬の気候はもっと涼しいかと思っていたけど、今日は暖かくて半袖でも大丈夫。
ハドソンリバー沿いの公園には、いくつもピクニックテーブルが並び、つい先月まで、たくさんの子連れグループでにぎやかだっただろうと容易に想像がつく。
私たちは、ぶらぶら歩いた後、緑のブッシュを眼下に見下ろせるテーブルを休憩場所に選んだ。
目の前のハドソンリバーは、グレイッシュブルーの色をしてそよそよと風を運んでいる。
滋さんは遠くハドソンリバーの向こう岸NJ(ニュージャージー)を見つめながら、ポツリとこぼした。
「・・・・わたしは、つくしがうらやましいよ・・・。」
「滋さん・・・・?」
「長いこと離れていても、司はつくしのことを大事に思ってる。
司に限って浮気なんて、心配しなくていいもんね。ハッハハ・・・ 好きな人からそんなに想われるなんて、最高だろうな・・・・。」
「そんないいものでも無いっていうか・・・。」
「ねえ、つくし、好きならちゃんと受け止めようよ。滋ちゃん、つくしなら応援するからさ。」
「 ・・・・・。 」
「あのさ、つくしは司のこと好きなんだよね? 」
喉がカラカラ渇いて、ひどく苦しくなった。
ずっと私の心に蔓延していた不安が言葉となって刺さってくるようだった。
『司のこと好きなんだよね?』
嫌いな訳無い。私たちの間には、嫌いになるきっかけすら出来ない距離があったのだし、約束で結ばれた長い時間を越えた絆もある。
思いつめた表情をしていたであろう私を滋さんは、何も言わずじっと見つめていた。
「ごめん、変なこと聞いて・・・。恋人と久々に会えると思ったら、滋ちゃんならもっと嬉しい顔するかなと思ったからさ。
今晩は、司といちゃいちゃして、すっきりしなよ!ね、つくし!」
滋さんの明るい声と背中を押す手のぬくもりが、そこだけが、とっても温かかった。屋敷に戻ると、疲れと時差のせいでどっと眠気が襲ってくる。
這って行く思いでなんとかダイニングルームへ行くが、道明寺から仕事で遅くなると連絡が入った。
半分瞼が下がっている滋さんにオヤスミを言い、道明寺のベッドにダイブする。
大きくて柔らかくて懐かしい匂いがする。
道明寺に会うと思うと緊張するけれども、抗えない睡魔の方がもっと絶大で、瞬く間に深い眠りの底に落ちた。
誰かに頬を優しくなぜられている気がする、けれども、その人が誰なのかわからない。
ん?朝なの?気持ちいいベッド・・・。もう少し、眠りたい・・・・。
そうだ、ここは・・・、そっと目を開けた。
隣に眠っているのは、紛れもないあいつだ。クルクルした強いくせ毛は、半分ベッドに隠れてるけど健在で、白い枕にいくつも曲線を描いている。
きれいな睫毛はピクリとも動かず、平和を絵に描いたような静かな寝顔だ・・・。
よく見ると、顎の辺りにひげが生えていて、形のいい唇には縦じわがある。
こんな側で生身の男を観察するのは初めてで、リアル感が意外におもしろい。
喉仏がくっきりと突起していて、堅いのか柔らかいのかと好奇心が湧く。
視線を動かすと、裸の胸が目に飛び込んだ。
ドキリと胸が高鳴る。
この広い胸に何度も抱きしめられた遠い記憶を懐かしく思い出した。
よく眠っている。 道明寺は、もしかして真っ裸で寝てるのかい・・・?
もしや、私、裸の奴とベッドに寝てる?
ズボン、はいてくれてるよね?
眠っているのをいい事に、そっと掛け布をつかみ中を覗き込んだ。
「おい、どこ見てんだ。」
ビクッ!
突然、頭の上から聞こえる低い声に、びっくりした。
「いや、あの、あの、元気だった?・・・って」
「はぁ? お前、朝っぱらからいやらしいな・・・。」
「えっ?///////、そ・そうじゃなくて・・・」
長い腕が伸びてきて、私を包んだ。
「牧野、やっと来てくれたか・・・。」
「うん、お・おはよう・・・道明寺。」
「今、何時だ?まだ、5時じゃねえか・・・。悪い、もう少し寝かせてくれ。起きてからな・・・。」
そういって、わたしの腰に手を回したまま、再び眠りの世界に落ちていった道明寺。
ハードな仕事をこなし、疲れきった躯体を休める貴重な時間。
野獣だった道明寺も、体調管理ができる大人になったもんだ・・・と感慨深く思う。
しかし、このままだと完全にやられるよね・・・。
滋さんには悪いけど、ちゃんと受け止めるってかなり難しい?
まずは、冷静に二人で話し合わなきゃ・・・。こんな気持ちのまま抱かれるのだけは、何が何でも避けたい。
さて、どうしよう・・・。
私は、そっとベットから抜け出した。
つづく -
shinnjiteru9 9.
時差ボケで目覚めてしまった滋さんと私は、さわやかなNYの秋晴れの下、二人で散歩をしながら、
今日はMET(メトロポリタン美術館)とMOMA(ニューヨーク近代美術館)へ行くことに決めた。
戻ってくると、道明寺は既に仕事へ出かけた後で、伝言だとメモが渡される。
夕食はマンハッタンにあるロブスター専門レストランに予約を入れておくから出て来いというものだった。
忙しい道明寺の生活パターンは、私が来ても変らない様子。
こりゃ、早く時差ぼけをなんとかしないと何も解決せずに滞在期間が終わってしまう・・・。
今晩こそ、ちゃんと話し合おうと気合を入れた。
METとMOMAは、観光客だらけで、アメリカ南西部から来た体格の良い御上り様ご一行や異様に背の高い北欧系や鼻梁が細いフランス系の顔が目立って多かったように思う。
異なる言語が飛び交い、さすが世界的有名な美術館に来ているのだと興奮した私は、一点でも多く目に焼き付けておこうと欲張って鑑賞した。
せっかくだからと観まくったけれども、実は収蔵品のほんの一部しか観れていないという状況で、想像を超える量と質には舌を巻くばかりだった。
「ふう~、滋さん、疲れたよ~。頑張って観たから、目がショボショボしてきた・・・。」
「さすがの滋ちゃんでも、一日に2つの美術館はきついよ・・・。つくしが丁寧に観るから、付いていくのも大変だったし、私もへとへとだよ~。」
朝から夕方まで、ずっと美術館にいた私達のエネルギーは明らかに底をついていた。
滋さんも私も今朝は5時まえから目がパッチリ開いて、一日を始めている・・・。
この状況で、あと約3時間マンハッタンで時間をつぶすのは、我慢大会の種目になるぞ・・・そんな大会遠慮したい。
ロブスターは明日に回してもらって、今日はもう帰って寝ようと勝手に決めた私達。
睡魔には誰も勝てないのだ・・・。
今朝の気合はどこへやら、またもや朝までぐっすり眠りこけ、気が付くと、横にスヤスヤ眠るあいつの顔があった。
道明寺の人形のような寝顔を覗き込んでみる。
今朝もうっすら髭が生えていて、唇には縦じわが見える。
昨日は、気付かなかったけど、高校生の道明寺には髭は無かったような気がするし、唇はもう少し赤かったような気がする・・・。
それから、頬に肉も付いてたし、いつもピアスをはめていたのに。
あの道明寺が文句も言わず、こうして静かに二晩も眠っているなんて不思議に思う。
目の前の男は、私の知っている道明寺が明らかに大人へと進化して、突然、目の前に実体を伴って現れた未来人みたいだった。
腕を回されて戸惑うのは当然の事だと、憑き物がポロリと取れるように合点がいく。
道明寺には、正直な気持ちをちゃんと話して分かってもらおう。
今晩、冷静に話し合えば、ちょっと大人になったこいつならわかってくれるかも・・・。
ゆっくり体をベッドからずらし起き上がろうとした時、大きな手に腕をつかまれ、ぐいっと引っ張られた。
「まだ、寝てろよ。じゃねえと、今晩もとっとと眠りこけるだろうが・・・」
「うん・・・」
けれども、目が冴えてちっとも眠れない。
時計の針のカチカチ動く音が耳に残る。
「牧野・・・、眠れないみたいだな。」
道明寺がつかむ手に力が加わり、お腹の上に体ごと持ち上げられた。
「うわぁ・・・」
「牧野、こうやって抱きしめたかった・・・。」
道明寺の瞳は、私を求める熱いまなざしに変っていて、ふっと懐かしい感じがした。
「なあ、このまま・・・いいか?」
「っな///?ダメ!そういうことは困る。」
「なんでだよ?」
「大事な話があるんだ・・・。今晩、ゆっくり話せない?」
「どういう話だ・・・?」
「道明寺、もう野生の勘は働かないの?」
「はぁ?朝から、喧嘩売ってんのか?」
「違うよ・・・。」
「・・・今、話せ。」
低くて冷静な声だった。
「今の道明寺が好きだって、ちゃんと思えないから・・・。」
つづく -
shinnjiteru10 10.
「何て言った?」
「今の道明寺が好きだってちゃんと思えない。」
「 ・・・・・・。 」
私たちは、ベッドから出てソファーへ場所を変え、向かい合って座った。
「別れたいってことか・・・?」
「 ・・・ 一度、白紙に戻して考えたいの。
英徳を卒業するまで、道明寺のことを何度も何度も思い出して待ってた。
うさぎ屋で、“守ってやりたいから家を出る”って言ってくれた真っ直ぐな瞳。
美作さん家の東屋で、私を軽々と抱えて逃げ道を探す大人っぽい顔、
それに、滋さんの島で夕日に照らされるあんたの瞳や手のぬくもり、それから・・・あん時のキスとかも。
忘れられっこない大切な想い出だよ。
寂しくなったら、想い出を引っ張り出して、つなぎ合わせて夢見てたの。
私って、やっぱ、単純なんだよね・・・5年も経てば変わることも気付かないで、高校生の道明寺のことばっかり想い描いて。
また会いたいって、また熱い瞳で見つめて欲しいってずっと思ってた。
だから、英徳卒業式の一週間後会った時、本当にびっくりしたよ。
すっかり仕事人間に変わっちゃっててさ。
やる事なすこと、すっかり落ち着いちゃって。
記憶にある道明寺は高校生の頃だけでしょ。
思い切り戸惑うでしょ・・・普通。
全然馬鹿もしないし、仕事の話ばっかりだよ?
それで、そのまま笑顔だけ残して、NYへ帰ってしまって、私がどれだけ不安な気持ちで残されたか分かる?
昔のように全てを信じて待てたら、どんなによかったか・・・。
道明寺のこと嫌いになった訳じゃないの。
ただ、どこが好きなのか、一緒にいても何を話していいか、この先、どうしていいのか見えてこないの。
私たち、やっぱり離れている時間が長すぎたんだよ・・・。
道明寺は、私のことちっとも変ってないって思ってるの?」
「牧野、寝ぼけてるのか? 牧野は、牧野だろ。それに、俺はここに居る。
お前、久しぶりにあったから、俺の成長にびっくりしてるだけだろ?」
「ちがう! 道明寺は、変ったよ。」
「そんな寝ぼけたこと聞けるか!俺が、NYに来たのは何の為かわかっているよな?
どんなにつらくても歯を喰いしばって頑張ってこられたのも、牧野がいたからだ。約束したろ?」
「昔の道明寺なら、仕事より何より私を選んでくれてたはずじゃない!
昨日だって、仕事、休んでくれなかったでしょ・・・。」
「勝手に仕事休むな!とか言うの、お前の専売特許だったじゃねえか・・・。
わかった、今日は仕事を休んで一緒に過ごそう。
会えなかった時間を埋めようぜ。」
「違う!本当に休んで欲しくて言ってるわけじゃ無い!あんたは、変わったって言いたいの!」
「少しは変わっても、当たり前だろうが・・・。俺はもうチンタラした学生じゃねえ。
瞬時にビリオン単位を動かすこともあるんだぜ。
牧野、他に好きなやつでもできたのか?」
大きく首を何度も振った。
「俺のことが嫌いになったのか?なら、そうはっきり言え! 直せるものなら、直す努力もする!」
「だから、嫌いになったわけじゃないって言ってるでしょうが!
嫌いなところも、直して欲しいところも浮かばないのが問題なの。
・・・今の道明寺が、すごく遠く感じるだけ。
現に私達の思いが、こんなにすれ違ってるでしょ?
道明寺も変ったけど、私もどこか変ってしまった・・・時間がそうさせたんだよ。
それが、私達の現実なんだよ!」
「そんなんで納得できるわけねえだろ!」
「私、バカでわがままなあんたなんかサイテーだと思ってた。
なのに、いつの間にか好きになってて、一緒に居たいって思ってた。
こんな話、ゆっくり二人でしたことなかったよね?」
「聞きてぇな・・・。」
「覚えてる? あんたが走って追いかけてきたこと。
亜門と一緒に乗り込んだバスを、走って追いかけてきたこと!
馬鹿なあんたは国家権力まで使って、なり振り構わずがむしゃらに探してくれたでしょ?
あの時、もう少しで私の心はどこかに行っちゃうところだったのに、あんたが必死で掴んで離さないでいてくれたから、自分に嘘つかずに済んだの。
ホントは、すごくすごく感動したんだ。
すごくすごく、道明寺が愛しいって思えたんだ。
こんなにすごい男(ヒト)に慕われてるのか・・・って。
本当に嬉しくて、やっぱり、道明寺しかいないって思った。
初めて自分以外の誰かを幸せにしてあげたいって思ったもん。」
「いい話じゃねえか・・・。」
「でも、もうそんな姿、道明寺には似合わないね。
今の道明寺に同じこと要求するほうが馬鹿げてるんだけど。
知らないうちに立派な大人になっちゃって、あんな道明寺はどこにも居ないでしょ?」
「だったら、もう一度追いかけてやるぜ。
思い出させてやる。一からでも何でもやってやるぜ。
NYへ来い!俺のところへ来い、なっ?
一緒に暮らそう。屋敷が嫌なら、アパートに移ってもいいぜ。
今の俺をたっぷり見てくれ!」
「そんな簡単に言わないでよ!
私も、もう高校生じゃないよ。私も大人になったの・・・。
仕事も楽しくなってきたし、もっともっと勉強したいと思ってる。
道明寺は、今の私をどこまで知ってるって言える?今の私のどこが好きなの?」
「俺は、牧野の全てが好きだ。天と地がひっくり返ったって、この気持ちが変わるわけないにきまってる。」
「道明寺・・・。私には、そういう風に思えないよ・・・。」
「俺は、理解できないぞ!お前とは、別れない!
だって、そうだろ、どれだけ牧野との未来を待ったと思ってるんだ!
そんなことで、簡単にあきらめられっかよ!仕事や勉強なら、NYでもできるだろうが・・・。」
道明寺の瞳は、怒りで真っ赤に燃えるようだった。匂いたつように若い男の熱い血がドクドク流れて、周りの温度を上昇させている。
熱い血潮は勢いを失うことなく、私の腕を掴み引き寄せ、乱暴にベッドへ押し倒した。
パジャマの上着を一気に顎までたくし上げ、空いた手で腰を強く引き寄せたまま、いきなり私の胸を舌先で愛撫し始めた。
「道明寺、止めて!!ねえ、道明寺!!」
力強く手首をつかまれ、嵐のようなキスで言葉を塞ぐ。
乱暴で性急なキス・・・、本当は優しいキスをする男なのに、怒りで我を忘れている。
私は、右膝をたてて、両腕を思い切り突っ張って、力一杯抵抗して叫んだ。
「道明寺!お願い、止めて!!」
突然、ピタリと動きを止める道明寺。
炎を吹き消されたマッチのように、その場を動くことが出来ないでいる。
何もかもが止まったような居心地悪い静けさの後、何も言わず部屋からあいつは出て行った。
つづく -
>
shinnjiteru11 11.
私は再び、東京の忙しい日常生活へ戻った。
とうとう、道明寺に言ってしまった。
けれども、NYで道明寺に会って感じた違和感を言葉に出した事で、自分にも道明寺にも、どんな内容であれ正直でいることができ、ホッとしているのも事実。
そんな私を優紀が居酒屋へ誘ってくれて、今日は飲み明かす事になっている。
「・・・それで、そのあと、道明寺さんとは会えずに戻ってきたの?」
「ううん・・・、帰る日にJFK空港に見送りに来てくれて、少し話した。・・・。」
翌日も帰ってこなかった道明寺が、空港に姿を現した。
あの晩のことを最低だよな・・・と心から謝る姿はまるで生気がなかった。
そして、「ずっと不安にさせて悪かったな・・・」とそれは初めて耳にする静かな声音で・・・。
丸一日頭を冷やして、私の言ったことを理解しようと努力してみたけれど、もう少し時間がかかりそうだと口角を上げながら不甲斐なさそうに言う道明寺。
眠らなかったのだろう、目元には疲労の陰が濃く浮かんでいるのに、ドキッとするくらい優しくて大人っぽい笑顔の道明寺が焼きついている。
別れ際、「また、会ってくれるか?」と聞かれ、もし日本へ帰ってきたら連絡してと答えた。
お互いそれ以上交わす言葉が見つからなかった。
「道明寺さんが、そう言ったの?すごいね、全部飲み込んでくれたの・・・?」
「よくわからない・・・。でも、NYに行ってから、初めて仕事ズル休みしたって笑ってた。
あのさ・・・離れていなければ、今の道明寺も自然に受け入れられてたのかな?」
「つくし・・・。
私達の年代って、価値観や物事の考え方が周りの影響を受けやすい年代でしょ?
例え、一緒にいても、何も変らない保障は無いと思うよ。
道明寺さん、きっと無理してたんだろうけど、つくしの気持ちを大事に考えてくれたんだね。現状をちゃんと見つめれる道明寺さんって、やっぱり大人だな・・・。
要は、つくしに笑顔でいて欲しいんだよ・・・!もちろん、私もそう思ってるからね。」
「うん・・・ありがと。」
丸くなったあいつが見せた優しい表情は、過ぎていった時の流れを感じさせ、無性に私の心を苦しくさせるのと同時に、一片の寂寞感を感じさせた。
その晩は、予定通り二人で酔いつぶれるまで飲み明かした。会社までの銀杏並木は、すっかり芥子(からし)色に染まり、道行く人々に秋の風情を運んでいた。
時差ぼけが解消されたのと、このカラリとした秋晴れのお陰で、視界が一段とクリアになり頭も冴えてくる。
仕事の段取りを考えながら歩いていると、メールの着信音・・・♪。
『 まきの、お帰り 』
ふふっ・・・、類からだ。
たったこれだけのメッセージなのに、気持ちが伝わってくるのが不思議。
うちの雑誌の見出しを依頼してみたら、良いのを寄越してくれるかも・・・なんて。
忙しいのに、ありがとうね、類・・・。
類は、英徳時代のころが信じられないくらい多忙な人になっている。
花沢物産に入社した直後は、古参から受ける見え透いたおべっかと親のコネ入社と蔑視する視線の洗礼を受けた。
本人にとっては迷惑でしかなかったであろうが、それらを払拭するように集中するうちに抜群のキレが発揮され、
日に日に信頼を得、重要な仕事をこなすようになっているようだ。
そして、言わずと知れたあの容姿は『 花沢物産ジュニアービジネス界の王子様― 』と名打たれ、
某経済誌に掲載された。その号は、業界始まって以来の記録的売上を伸ばし、うちのキャップも羨ましそうに唸っていた。
婦人雑誌からの取材依頼をことごとく断っているらしいが、私のコーナーなら出てあげるって冗談でも言ってくれる。
心配しているであろう相手に、メールを返信した。
『 一件、落着ってところ・・・ ありがとう 』
携帯をパチンと閉じて、顔を上げ、会社へ向かって歩き出す。
芥子色に染まる歩道に沿って停まる一台のリムジンが目に入る。
歩道側の窓がスーッと下りて、後部座席に携帯を手にした類が優しい微笑みを浮かべていた。
「お早う、牧野。」
「類、お早う。 ずっと、見てたの?」
「牧野が見えたから、停まってもらって眺めてた・・・。
朝からニヤケる牧野もおもしろいね、ククッ・・・」
「/////// ちょっと、私で遊ばないでよね!まったく・・・」
「クククッ・・ごめん・・・。案外、元気そうでよかった。」
「うん・・・自分でも意外な程、何も変らないよ。あっ、ちょっと気持ちが軽くなったかな・・・。」
「ふーん。」 薄茶の瞳が、真偽を見極めている。
歩道には、類と私が親しげに話す姿を見つけて、野次馬根性で歩みを緩める人がパラパラ出てきた。
「じゃあ、類、もう行って! また、連絡するね。」
変な噂でもたって、類に迷惑はかけられない。
忙しい類が、今日一日元気にお仕事できるように明るい笑顔を見せた。
とたんに、他人にはめったに見せない笑顔を返す類。
振り返って、朝の光をキラリと反射させ走り行くリムジンを見送った。
つづく -
shinnjiteru12 12.
立ち昇る白い湯気が揺らいで、シューッという音とともに座する者の体内をほんのり潤すように広がっていく。
反り返しの強かった袱紗(ふくさ)も、今ではすっかり私の手中で治まってくれ、人差し指でなぞると生き物のように、意のまま形を変えていくのが小気味よい。
棗(なつめ)・茶杓(ちゃしゃく)と丁寧に道具を清めて、この一杯へ心を込める。
西門流が長い歴史の中で培った手順どおり点前を進め、かき混ぜ終わった茶筅が茶碗から離れた瞬間の泡立ちに、満足した。
「頂戴いたします。」
私の友人であり師でもある西門さんが、スッっと長い腕を伸ばしたかと思うと、きれいな所作でお茶を口にする。
「結構なお点前でした。」
NYから帰って久しぶりのお稽古だったけど、この部屋に入るとストンと心が落ち着いてお稽古に集中する。
「どちらの焼き物でしょうか?」
「織部焼ございます。」
今日の茶碗は、織部焼の代表的なタイプ。緑の釉薬がかけられた青織部だ。
「いつ頃のものですか?」
「こちらは、桃山時代の古陶でございます。」
「よし。牧野、よく答えられた。 では、もう一つ答えてみるか?
この器のようにゆがんだ器が生まれた背景は?」
「 ・・・・・・ 背景? えっと・・・・」
私の答えを待つ間も、端正な顔立ちは甘えを許さず、前髪の向こうからじっとこちらを見つめ続ける双眼が、茶道の伝承者としての誇りと威圧感を感じさせる。
「降参か? ・・・
生みの親:古田織部は、千利休亡き後、豊臣秀吉の庇護の下、茶道の道を極めていったわけだが、彼は茶人であり武人でもあったんだ。
従来の正統な形にこだわらない自由奔放で独創的な造形美は、彼の生き方からも伺える。
現代の産業文化にも通ずるオリベイズムは、新しいものを受け入れる準備が出来ていた茶道世界に「粋なもの」と歓迎された。
覚えておけよ!」
どこかで読んだような気がするんだけど、まだまだちゃんと答えられないよ・・・。
この若さで、淀み無くさらさらと答える西門さんの造詣の深さと生来の説得力は、この業界広しといえど珍しい貴重な存在。
彼のような後継者に恵まれた西門流家元は、さぞ安心していることだろう。
そんな芸術家としての西門さんの顔を知ってから、自ずと生まれた尊敬の念は増すばかりだ。
「わかりました。ご指導ありがとうございます。」
「じゃ、今日の稽古はここまでな。」
建水を洗い終わって戻ってくると、西門さんに呼び止められた。「牧野、今日はこのあと空いてるか?」
「うん・・・。どっちみち、一人で帰ってご飯食べるだけ。」
「じゃあ、夕飯ご馳走してやる。着替えてくるから、待ってろ。」
しばらく待っていると、打って変わって軟派風な男が近づいてくる。
「お待たせ。」
ニヤリと口角を上げ首を少し傾ける姿からは、先ほどまでの威圧感は感じられなくて、その変身振りに感嘆する。
細身の黒いズボンに白いカシミアのVネックセーター。
Vネックが狭く詰まったデザインは、一目でブランド物だと見て取れるけど、英徳の頃付けていたアクセサリー等は一切無く素っ気無い。
連れて行かれた会席料理店では、目にも鮮やかな季節の料理と西門さんお勧めの日本酒をたくさんいただいて、すっかり気分が良くなった私。
もみじ柄の冷酒グラスは薄いのに見事なカットで、何度も角度を変えて遊んでみる・・・宝石のように綺麗で思わず頬が緩む。
「なあ、牧野。 俺は、司が別れることに納得するとは思えないがな・・・。」
「私だって、あいつがどう整理したのかなんてわからないんだけどね~わかってくれた口ぶりだったよ~道明寺も大人になったね~。」
「お前は、大丈夫なのか?長い付き合いだっただろうが・・・。」
「大丈夫って?傷心で泣いてるとか・・・?
フフフッ・・それがさ、生活が全く変わんないんだよね。自分でも驚くほど、何も変らないの。
もともと、ずっと会って無いし、滅多に電話もなかったんだもん~。そりゃそうだよね・・・ハハッ。
私にとって、道明寺は卒業式の頃からだんだん離れた存在になっていったからねぇ~。ふぅ~。
多分、あの時からこうなるって予感してたんだと思うなぁ・・・わたし~。
道明寺はちゃんと聞いてくれたし、けじめを付けれてすっきりしたよ・・・。」
きっと心配して誘ってくれたのだろう西門さんの気持ちが嬉しくて、素直に答えた。
「お前はそうでも、男は惚れた女の事、すぐに割り切れるほど器用な生き物じゃないんだぜ、牧野。」
「あっ、それって西門さんにも覚えがあるとか?
今日こそ聞かせてもらいましょう~西門さんの失恋話ぃ・・・。」
「おいおい、俺が振られる訳無いだろうが・・・。悪いけど、俺は司よりずっと上手く恋愛してきたからな・・・。何なら、試してみる?」
「恋愛というより、単なる女遊びでしょうが・・・。ヒック・・・。」
「そん時は、ちゃんと恋愛してるんだぜ。 まあ、一期一会の出会いを大事にしてたわけだ・・・。」
「じゃあ、優紀とも恋愛したわけだ~。」
「優紀ちゃんとの恋愛は、最高の想い出だから内緒・・・。」
微笑みながらそう言うけれど、その話に続きは期待できないだろう。すっかりお腹が一杯になったので、場所をかえることにした。
清算が済み、2件目は私が支払うからと近くのbarまで二人で夜道を歩き出したところ、フォックスを纏った華やかな女性が西門さんにいきなり抱きついた。
「西門さ~ん、こんなところで会うなんて、嬉しい~。 おとといは素敵な夜だったもの、電話くれるかと思って待ってたのよ。」
「みさちゃん、悪いな・・・。また今度かけるから。」
振りほどこうとするが、なかなか離れないその女性は、相当酔っ払っており、からみ始めた。
「誰、この子!・・・ねえ、ここでキスして!そしたら、許してあげる!」
私をキッって睨んだかと思うと、西門さんの首を両腕でしっかり挟んでキスをねだり始めた。
「みさちゃん、ここは公共の場だから、まずいでしょ。」
「でも、前はしてくれたじゃん!」
今にも暴れ出しそうな勢いの女性を、西門さんはなだめようとするが一向に治まらない。
「牧野、悪いが、少し向こう向いとけ!」
あろうことか、私の目前で熱いキスを交わす二人から目を離すどころか、食い入るように見入ってしまった。
西門さんのキスで、目がトロリとなったその人を抱きとめているその腕から目が離せなかった。
茶室で見る腕と同一とは思えない初めて目にする男を感じさせる腕だった・・・。
ドキドキ高鳴る心臓の音は、悪酔いのせいだろうか・・・。
この瞬間は幻なの?・・・現実なら、こんなところに居る間の悪さを呪いたくなった。
じっとしていられず早歩きで歩き出した私。
あわてて追いかけてくる西門さんに腕をつかまれ、振り返った私の瞳からは一粒の涙がこぼれ落ちた。
「牧野・・・お前・・・・」
「 ・・・・・・ 」
「もしかして、ずっと見てた?」
「うん・・・びっくりしたよ・・・。やだ、私、泣くこと無いのにね・・・ごめん。」
「 ・・・・・ 悪かったな。 」
「飲みすぎたせいかな・・・涙腺がおかしくなってるみたい。今日は、これ以上飲まないほうがいいみたいだね。」
「本当に帰るか?」
「うん、また今度必ずご馳走するから・・・。」
西門さんは、リムジンを呼んでくれて家まで送ってくれた。
涙の訳は、自分でもわからない。
でも、西門さんがなんだか汚されているようで悲しかった。
遊び人だってわかっていたけど、あんな女性に回す腕を見たくはなかった。
ずっと窓の外を見ている西門さんはきっと困惑しているだろう・・・。
でも、それよりずっと困惑していたのは私だ。
つづく -
shinnjiteru13 13.
会社で受信メールをチェックしていると、興味を引くフォーラムの案内が目に飛びこんだ。
『 高化学的耐久性の計算プログラム 釉薬と文化財の展望 』
その道では、名の知れたT氏を囲んだフォーラムはきっと勉強になる。
場所は、T理科大。 進が通ってる大学じゃん・・・。
進は、奨学金をもらい就職に有利な理数系の大学に進学し、現在理学部4回生。
研究で忙しい進に連絡をとり、こんな機会なかなか無いから一緒に参加してくれるよう強引に頼んだ。
進に案内された会場は、すり鉢を半分にした造りになっており、200人程度入れるだろう。
キョロキョロしていると、進は知り合いを見つけたようで話し始めた。
「周、紹介するわ。横にいるのは俺の姉貴・・・。美術雑誌の編集してるんだ。」
「こちら、同じ研究室の友人。」
「あっ、こんにちは。姉の牧野つくしです。弟がいつもお世話になっています。」
「こちらこそ、お世話になっています・・・。 西門 周三郎といいます。」
人懐っこい笑顔の青年は、背筋正しくサッと手を差し出した。
握手を交わしながら、私は確信に近かった疑問を口にする。
「西門って、もしかして茶道家元の?」
「はい。でも僕は、好き勝手な研究を始めて兄に任せっぱなしですけど・・・。
牧野さんって、もしかして英徳でしたか?赤札の人?」
「はははっ、何を間違ったか英徳に通っていたこともあったよ・・・。」
「会えるなんて光栄だな・・・牧野さんは、英徳じゃ有名人でしたからね。
道明寺さんはお元気ですか?」
「もうあいつとは、関係ないんだ・・・。」
「そうでしたか・・・、失礼なこと聞いてすみません。」
「なんだよ、周!お前、西門さんの弟だったの?英徳だったことも、俺、全然知らなかった・・・。」
「研究には関係ないし言う必要ないだろう?!好きな事したくて、英徳を出たんだ。
牧野さんはT氏のフォーラム、初めてですか? T氏の話は、すごく興味深くて楽しいですよ。僕は、もう何度も出ていますから、保障します。」
にこやかに笑う姿は、西門さんより少し身がついていて、温厚そうな人柄に見える。
「今日は初めてなので、弟に無理言って付いてきてもらったんですよ。」
「僕、今まで参加した資料全部持ってますから、お貸ししましょうか?もしかしたら、お仕事のお役にたてるかもしれません。」
善意の申し出を受けることにした私は、ビジネスカードに携帯アドレスをメモ書きして手渡した。すぐに、周三郎くんから翌日のランチを一緒にどうかという誘いメールがきた。
待ち合わせの場所に行ってみると、嬉しそうに手を大きく振っている周三郎くんが無邪気な子供のようで可愛く見える。
「ごめん、待たせちゃって・・・。」
「いいんです。来て貰えただけで、胸がいっぱいですから・・・。」
「え?」
「僕、牧野さんとランチできるなんて、夢のようです・・・。」
「はい?周三郎くん、何か勘違いして無い? 私は、何も持って無いただの会社員だよ・・・。」
「あの、周って呼んでください。皆からそう呼ばれてますから・・・。」
天真爛漫というか人見知りしない性格というか、ぐいぐい相手を自分のペースに取り込む事ができる才能って、きっと彼の長所なんだろうなぁと思い見つめた。
「牧野さん、嫌いなものありますか?ここのお勧めは、オムライスなんです。デミグラスソースが絶妙なんです。」
「じゃあ、それにする!」
私の返事に顔をほころばせる周くん。
どことなく西門さんの面影を感じるな・・・やはり兄弟だと思う。
「う~ん、そうか、鼻だ! 鼻筋が似てるんだ!」
「僕ですか? 総兄とですか?」
「うん、やっぱり兄弟だなっと思って・・・。
私、お茶を習いにお邪魔してるのに、今までどうして会わなかったのかな・・・・?」
「僕は、ずっと、分家で修行してるんです。
まだ学生ですし、研究が忙しくなってからは、なかなか時間がとれないのですが、茶道のお稽古はまじめに続けていますよ。
茶道は、僕の体の一部ですから・・・。」
「体の一部?」
「だって、お喰い初めから抹茶碗を持たされる家に生まれたんですからね・・・。
普通の家庭じゃないでしょ? でも、総兄のお陰で、こうして好きなことをたっぷりさせてもらえる時間がある。
三番目に生まれたこと、今では感謝してるんです。」
私たちは、英徳時代のことやお茶のことなど話した。
まるで、前からの知り合いのように話せるのは、周くんの持つ人懐っこい笑顔とバリアを作らない性格のお陰だと思う。
「これ、例の資料です。お役に立てたらいいのですが・・・。」
「うわっ、結構な量だね。 すぐには返せないと思うのだけど、いいのかな?」
「大丈夫。 一応、全部ここに入れてますから・・・。」
周くんが左手の人差し指を左側頭部に突き当てながら言うところ、なんだか西門さんの姿と重なって笑える。
「クスッ・・・」
「僕、何か変でした?」
「ううん、やっぱり西門さんと似てると思って・・・。ふふっ・・・。」
「僕は、どちらかというと一番上の兄貴に似てるって言われるんですけど・・・。
そうなのかな・・・?
あっそうだ! 知り合いの家で茶碗を作ってみようと思うんですが、よかったら一緒にどうですか?
世界で一つの茶碗を作りましょうよ! 進も誘ってみましょう!」
陶芸か・・・おもしろそう。
進も一緒なら、連れて行ってもらおうかな・・・。
また会う約束をして、その場をあとにする。
久しぶりに学生時代に戻ったような、そんな無防備で楽しい午後だった。
つづく -
shinnjiteru14 14.
西門さんのお稽古は、初釜に向けての練習に移った。
あの晩のことはお互い何も触れず、西門さんが何を考えているのかわからないまま、お稽古に集中することにした。
濃茶の味も啜り方も薄茶とは似て比なるもの。
当日は客として席入りするだけだが、濃茶を点てるお稽古もつけてもらう。
大きな茶碗に5人分の濃茶を点てる、これがまた難しい。
お湯が冷めないうちに、練って練って練りまくり溶かしきらなければならないけれども、どうしてもだまができてしまう。
「 牧野、それ飲んでみろ。」
ドロリとした液体を口にすると、西門さんのより薄く感じた。
「違いがわかるか?濃度をあげないと意味が無い。
湯の量はそのままで、もっと心をこめる!
年始に客人を清め健康でいられる薬を作るつもりで、無心で練り上げろ。」
当日の亭主は、これを何杯点てるのだろうか・・・相当な労働になることを知った。
見かねた西門さんは、私の背後から右半身を重ね、一緒に茶筅を力強く掻き回す。
「茶筅の角度を変えながら、こうやって強く・・・」
西門さんの香りは、植物系にバニラがかった甘酸っぱい香り。
その香りに包まれ、耳元に息までかかって、濃茶どころじゃないよ・・・。
「ちょっと、西門さん、近い・・・。//////」
「お前、何変なこと考えてるんだ。 茶に集中しろよな!」
「そんなに近づかれたら、こそばくって集中できるわけないでしょうが・・・。/////」
「手のかかる弟子を持った俺の身になってみろ・・・まったく・・・。」
「出来が悪くて、すみませんね・・・!」
「おいおい、その口ぶりは師匠に向かって言う口ぶりかな?」
「あっ、すみません・・・」
茶室では、師弟関係にけじめを持ち言葉遣いに注意しているつもりだった。
でも、今日はなんだかダメだ・・・。
湿った息を吹きかけられ、女性を支えていた西門さんの腕を感じる。
心がワサワサ波打って、感情のまま言葉が口から出て止まらない。
こんな俗事に占拠される私は茶人の姿とかけ離れている。
志高く入門したくせに、ちっとも芸術の域に達せない自分が歯がゆくて、
これで一流の美術雑誌を編集してるなんて笑っちゃうね・・・。
どうしたら、西門さんみたいに余計なことを考えず、自然に心と体のバランスが取れるのだろう・・・。「ふっ・・・、そんなに落ちんなって・・・」
師の顔でなく、いつもの西門さんが優しく微笑んでくれた。
見透かされて小さくなる私の前で、圧倒的に優位な立場にいる西門さんの笑顔は余裕にしか見えない。
私は、揺れる心を治められず、顔を上げることが出来ずにいた。
「牧野、今日は稽古を止めて、少し庭を歩こうか・・・。」
西門さんに連れられ、庭園を歩くのは初めてだった。
まるでどこかの大きなお寺のように剪定された低木が並んでいる。
そして、美しく紅葉したもみじと赤い花弁をのぞかせている山茶花が目を引く。
敷石を歩いていくと、古びた建物が現れた。
「あれは、今生(こんじょう)庵といって、大切な茶事でしか使われない格式のある場所だ。
初釜では、初日第二席までの正客をもてなすが、後に続く客には濃茶のふるまいだけに使われる。末端の弟子は、入ることはない。
俺は、幼稚舎に上がった頃から、言われるまま今生庵の客に茶菓子を出したりして、懐かしみさえ感じるけどな。
それが、どういう意味を持つのかおぼろげに見えた時、よし!宿命に乗っかろうと思ったわけだ。
茶道は、一朝一夕で身につくものではない。悩んで当たり前だからな・・・。」
諭すようにゆっくり話す西門さん。
苦労を語らず、彼らしく話す言葉が、胸に響く。
古い建物の前に立つ西門さんを見ていると、流派を背負う重責と無形の芸術世界を極めるために、今でも弛まぬ努力と精進を続けているのだろうと思う。
こうして少しでも過去のことを話してくれるのは意外で、心のうちを垣間見せてくれたのが嬉しかった。
「牧野、あせるな・・・。」
「はい。」
「牧野は、何でも真っ直ぐだからな・・・。」
ニヤリと笑う西門さんは、ちゃんと私を育ててくれている。
温かい気持ちになると人は笑顔になる。 まっすぐ西門さんを見つめ、笑顔を返した。
「初釜の晴れ着、お袋が用意しているそうだぞ、行ってこいよ。」
「はい!」
くるりと向きをかえ、お母様のいる母屋の方へ向かった。
微笑んで見送る西門さんを振り返ることもなく、初釜に心を飛ばせながら・・・。
つづく -
shinnjiteru15 15.
周くんの笑顔に迎えられ、西門家のリムジンに乗り込んだ。
商店街には赤・白・緑・金のクリスマスカラーがあふれてる。
リムジンは、流れるように華やいだ商店街を横目に走り過ぎる。
ふと、道明寺の笑顔が脳裏に浮かんだ。
毎年クリスマスには、NYの道明寺から二つのプレゼントが届いてた。
一つは、クリスマスプレゼント。
もう一つは、誕生日プレゼント。
今年は、もうどちらももらうことは無いのかと思うと、恋人という絆が切れたことを改めて思い知る。
道明寺はNYで元気にやっているのだろうか・・・。
あれから、道明寺はどんな気持ちを抱えて忙しい日々をすごしているのだろうか・・・。
自分が牧野つくしであると同じくらい、道明寺と付き合っているのが周知の世界だった。
私でさえ、未だに道明寺と付き合っているという感覚にとらわれていて、戸惑うことがある。
寝耳に水の話を向けられた道明寺の苦悩を思うと、今さらながら独りよがりで一方的な別れ話だったと思う。
けれども、後悔はしていない。
痛い選択であろうと、吐き出さなければいつか歪みが広がり、忘れたくない思い出さえも受け入れられなくなる。
いびつな円には、いびつなハーモニーしか生まれない。お互いが不幸になる。
昔の道明寺を焦がれる幼かった私の恋は、終わったんだ・・・。
なんだか自分に言い聞かせる感じがした。
不安に思い続けた日々が去っても、道明寺という存在は大きくて、私の中から消えることは無い。
新しい洋服に馴染むように、新しい関係も肌に馴染めばいい。
凝り固まった記憶もじんわりと消化していけたらいい。
目まぐるしく毎日が一瞬の風のように流れる。
いつか道明寺がこの風を塞き止めて、俺様の風を作り日本へ帰国するだろう。
その時、私たちはどうなっているのだろう・・・。「・・・ちゃん、ねえちゃん! 」
「あっ、何?・・・。」
「周が、もうじき着くって言ってるのに、ボーッとしてるからさ。」
「あっ、ごめんね、周くん。」
そして、ほどなくしてリモは停車した。
そこは閑静な住宅街に建つ屋敷で、趣味で作ったアトリエに立派な窯が鎮座する。
未経験者の私達を歓迎し、親切に指導して下さるご主人は、周くんにお茶を習っているという。
「うわぁ、形が崩れた~!周、これどうしたらいいんだよ~。」
「知らねえよ、俺も初めてなんだから・・・。」
私達はキャッキャッと悪戦苦闘しながら、それぞれ思い思いの茶碗を作った。
そして、私はこっそりご主人にお願いして小さなお湯呑みも作った。
「ねえ、これいつ出来上がるの?」
「四日後だって言ってました。 楽しみですね。」
「周くん、連れて来てくれてありがとう。すごくいい経験になったよ・・・。」
「ええ、僕もです。」
人懐っこい笑顔の彼に笑顔を返すと、照れてはにかむ顔が赤ちゃんみたいで可愛いい。
なんだか母性本能をくすぐられる。
進は、その後研究室に戻らねばならず、大学でリムジンを降りた。
「牧野さん、もう少し時間ありますか?
僕、お腹すいてるんですけど、何か食べません?」
「私もおなかペコペコ!」
連れて来てくれたお店は、若者向けのビストロだった。
「ここ、何でもおいしいんですよ。 今日、付き合って下さったお礼にご馳走しますから。」
黒のハイネックセーターの袖口を右・左と肘まで引きあげながら言う。
「いいよ・・・。私のほうがお姉さんだし、これでも社会人ですから・・・。」
「僕、女性に払わせるような教育受けていませんよ。」
さらに何かを言いた気な眼差しで見つめられ、ちょっと戸惑った。
「じ・じゃあ・・・お言葉に甘えて・・・。今月は、物入りだから助かっちゃったなぁ・・・。」
体を動かした後のビールやお料理は、とてもおいしい。
赤ワインを口に含んだところで、周くんに見つめられそのまま見つめ合った。
「牧野さん・・・」
「・・・うん?」
「あの・・・僕はもっと貴方のことが知りたいと思っています。また会ってくれませんか?」
予期せぬ直球だった。
ワインをゴクリと飲み込んで、懸命に言葉を探す。
「どうして私なんかと?」
ホント芸の無い間抜けな答えしか出てこなくて、情け無い・・・。
「牧野さんが、兄貴たちF4を変えた人だから・・・
それが、今のところは答えかな・・・。
僕は三番目の末っ子で、周りの大人達から可愛がられ育ちました。
でも、僕が後を継ぐことはないって僕自身が一番わかってた。
兄達と違う扱いを受けてきましたから・・・。
たくさん悩んだ挙句、気付いたんです。
茶道だけの世界に生きることより、実りのある人生を送ることが幸福だと。
大学卒業後、僕は大学院へ進みたいと思っています。
でも、その後は・・・?本家家元でなくても、西門の名を背負って二束の草鞋を履くのはもう無理ですよね。
僕は、西門を捨てるか決めなくてはならないんです。
・・・間違えないでちゃんと決められるかな・・・僕に。
牧野さんはきっと僕に何かを与えてくれると思う。
なんとなくそう思うんです・・・僕の勘、良く当たるんですよ、ハハ。
貴女に興味があるって言い方失礼かもしれないけど、気になって仕方ないから。
とにかく、また会って欲しい。
もっと貴女という人間(ヒト)を知りたい・・・。」
今風のBGMやテーブル横の学生達のにぎやかなおしゃべりが、背中で遠慮がちに流れている。
同じ両親から生まれたのに、西門さんとまるで違うストレートな物言いに少なからず驚いた。
けれども、研究室での探求心そのまま向かってくる姿勢は学生らしくて、不思議と好感がもてた。
「構えないでくださいね。 付き合ってくださいってお願いしてるわけじゃないですから。
僕は、それでもいいんですけど、僕じゃ物足りないですよね・・・。」
「周くんは私を買いかぶっているだけだよ。 だいたい、私が西門さん達を変えたなんて思ってないし、大事な選択に役立つ力なんて持ってないよ・・・悪いけど。」
「だから、構えないでくださいって!クスッ・・・」
人懐っこい笑顔で笑う周くんの表情には、緊張の欠片も無い。
もう一度会うだけなら、戸惑うのも馬鹿らしい。
「別にいいけど・・・、期待はずれでがっかりするよ。」
「・・・、大丈夫・・・。」
目の前の周くんは、口を閉じ静かに私の瞳の奥を見つめていた。
まるで、返事を噛み砕き味わい体内へ吸い込んで、吸収しているような感じだった。
そして、確実に身に付け、大きく成長しているようだった。
人懐っこい笑顔の青年が見せる冷静な表情。
こんな表情もするんだ・・・。
私が与えてあげられるものなんてあるのだろうか・・・?
いきなり、居心地の悪い針の上の筵に席替えさせられたような心地がした。
黙り込まれるのに慣れてなくて、少し窮屈に感じただけかも知れないけれど。
そして、周くんは吸収し終わったのかニコリと微笑み、重厚なメニューを開き2本目のワインを選び始めた。
黒いセーターの両袖口からは、白い腕がのぞいている。
抹茶の香りがしてきそうな・・・しなやかな腕・・・。
いつか茶室で見てみたいと、何となくぼんやり思った。
つづく -
shinnjiteru16 16.
久しぶりに桜子から電話があって、機関銃のように道明寺とのことなんだかんだと聞かれた挙句、大きなため息をつかれた。
「やっぱりそうなりましたか・・・。
なんだか、私が落ち込んじゃいます。」
「なんで、あんたが落ち込むのよ。」
「先輩がおかしいこと気付いていたのに、何もできなかったから・・・。」
察しのいい桜子は、気付いていたという。けれども、道明寺の強い思いを知り尽くす桜子だから、信じる思いも強かった。
沈黙の後、友人としての温かい言葉をくれた桜子。
「先輩、この時期一人は堪えるんですよ。みんなで集まって、パーッとしましょう!」
そして、お店も順調な経営状況である桜子が、セットしてくれた集合時間は8時。
それでも、私がお店に着いた時、先に着いていたのは優紀と滋さんと桜子だけだった。
滋さんとは、成田で別れて以来だ。
道明寺との空港でのやり取りを見ていた滋さんが、もうじき日本に到着する頃になって重い口を開いた。
『つくし、NYに誘ってごめんね・・・ただ、司と仲良くして欲しかったの・・・』と泣きながら謝る滋さんの瞳は、
小さな窓から差し込むオレンジ色の朝日に照らされて、せつない程美しくて引き込まれた。
ようやく、ちゃんと言えた到達感と言ってしまった脱力感と道明寺のぬくもりに二度と触れられぬ寂寞感がグルグルと胸にこみあげて、涙があふれ出し止らない。
滋さんの涙を見るまで、涙を流す行為を忘れていた私。
「私こそ、ごめん。ごめん・・・。」
何度も口から出た。
遠くなるNYへ吐き出すように、何度も・・・。
誰も悪くないのもわかってた。
ブランケットには、涙のしみが広がって冷たくなっていく。
あの時、横に滋さんがいてくれたから泣くことができたんだ・・・。
目の前の明るい滋さんに、あたたかい感謝の気持ちが湧き上がる。遅れてやってきたF3を混じえ、ようやくみんなで乾杯した時は既に出来上がっていた私達T4。
どかりと椅子に腰を下ろす類は、激務が続いて疲れた顔している。
首を振りネクタイを緩める仕草も、けだるくつらそうに見えた。
「類、大丈夫?仕事、無理し過ぎなんじゃない?」
「大丈夫じゃないって言ったら?」
いたずらっぽい笑みをつけて、薄茶色のビー玉のような瞳を向ける類。
「もう、人が心配してるのに・・・。」
「ありがとう、牧野。 少し元気でたかも・・・クスッ。」
「おいおい、心配するのは類だけかよ。師匠に向かってため口利く手のかかる弟子を持つ男もいるんだぜ・・・。」
「///西門さん!そんな減らず口叩けるっていうのは、元気な証拠でしょうが・・・。」
「お前は、おっかねえな・・・。茶室では、あんなに大人しいのにな・・・。」
「西門さんだってそうじゃない。今の西門さんからは想像出来ないくらいだよ。」
「想像出来ないくらいどうなの?カッコいい?もしかして、俺に惚れちゃった?」
「はあ?何言ってんの?」
痴話げんかになってきたところで、美作さんが類に話しかけた。
「それはそうと、類のところ、UAE(アラブ首長国連邦)に支店を出すらしいな。」
「うん、そう。 業務委託でなく、本腰いれることにした。」
花沢物産は、石油関連を中心にUAEにある現地法人に業務委託をしてきたが、
UAEの石油依存型経済からの脱却方針に伴う多角的産業の急速な発展の中、子会社化するにとどまらずドバイ支店開設を決定した。
それは、花沢物産といえども、中東天然資源恩恵地域において唯一外資系企業が集中する中東経済拠点に日本を背負って挑むことを意味し、
失敗の許されない商社の命運がかかるといっても過言ではない決定だった。
その中心となる首脳陣の一員に抜擢されたのが、時期花沢物産社長 ―花沢類。
「JAFZ(ジュベル・アル・フリーゾーン経済特区)にか?」
「まだ確定してないけど、多分。優遇制度が厚いからね。」
「そこ、うちの系列ホテルがあって、純利益が上向きなんだよね。 滋ちゃんが視察に行った時、類くんに遊んでもらおうかな、よろしく!」
「いづれあっちに駐在する予定なのか、類?」
「暑いの嫌いだから、嫌なんだけどね・・・。」
「うそっ!類、行っちゃうの?」
「クスッ、まだ決まって無いよ。でも、出張が増えるのは確か。」
「俺だってイタリアで修行してみるかって、親父から言われてるからな。若いうちに、経験を積ませたいのが親心なんだとさ・・・。」
道明寺はNY、類が中東へ行って、美作さんまでイタリアに行ってしまうとなると、F4がバラバラになってあまりにも寂しい。
でも、私よりずっと西門さんの方が寂しいはず。
その様子を伺ってみても、ロックグラスに入れたアイスの塊りを慣れた手つきで軽やかに人差し指で回す姿はいつもの姿。
西門さんにしても、短期的に海外支部活動に出かけることも多くなるだろう。
まあ、世界をまたにかけるのは、ジュニアの宿命と刷り込まされているのだろうけど。
ボーット西門さんを見つめていると目が合って、何?と眉毛を上げられた。
「西門さんは、ずっと日本だからよかったね。」
何を言う私の口。 勝手に口から出て、あせった。
「あぁ、まあここが本拠地だからな・・・。」
「そ・そういえばさ・・・、西門さんの弟の周三朗くんって、進と同じ大学の研究室だって、知ってた?」
「・・・?」
「おう、周のやつもう大学生か・・・。英徳から出たのか?」
「家は俺に任せて、自分は好きなことしたいらしい。」
「ちゃんと将来のことも考えてる立派な好青年じゃない。 悩んでたよ、茶道のことも。」
滋さんが、興味深げに周くんはどんな感じなのか聞いてきた。
鼻筋が西門さんに似ていて、少し肉付きがいいこと。
ストレートな物言いだったことを伝えるため、また会って欲しいといわれたいきさつを教えた。
「へー、まきの、信頼されてるんだ・・・。」
類にとっても、意外だったようだ。
「きゃー、それって恋に発展するかもですねー、先輩。」
酔い口の桜子がからかうように言う。
「そんなことあるわけないじゃん、可愛い弟みたいな感じだよ。」
「・・・悪かったな。俺から言っておくから。」
「へ?やだ、西門さん。別に嫌だって思ってないし、こんな私でお役に立てるなら喜んで・・・。」
「そうですよ、先輩だって新しい恋を見つけないとダメなんですから、芽をつまないでくださいよ、西門さん!」
「だから、そんなんじゃないってば・・・桜子。」
西門さんが困ったような顔をしていたのは、兄としての顔だけではなかったことに私はまだ気付かなかった。
つづく -
shinnjiteru17 17.
夕食の後片付けを終え、自宅でくつろいでいた。
~♪~ 携帯メールの着信音。
『 こないだの器、今から持っていっていいですか? 周 』
すぐに了解のメールを返信する。
ほどなくして、再度着信音~♪~。
『 迷子になったみたい。どこか目印を教えてください。』
西門家のリムジンじゃないんだ・・・と思いながら、ここまでの来方をメールして、
念のため、コートを手に掴みアパートの前に出て待った。
一台のスポーツカーが近づき、目の前でスーッとゆっくり停車する。
ツーシートの日産フェアレディーZ、道端の電灯の下で銀色に輝いている。
中から、人懐っこい笑顔の周くんが下りてきた。
「ここで待っててくれたんですか?ごめんなさい、僕、このあたり初めてなんで・・・・。」
「狭い道が続いてるから、分かりにくかったでしょ?」
「もう、完璧です。牧野さんの家、ここですか?」
「うん、二階の右から3番目の部屋。 ちょっと上がってく?ここは寒いから・・・。」
「え?・・・いえ、僕は・・あの、今日は遠慮します。」
「クスッ、そういえば、西門さんから注意されたことあるんだ。男は誰でも警戒しろって・・・ハッハハ 」
「総兄が?」
「西門さんって、ああ見えていつも一本筋が通ってるんだよね・・・。そこは、感心してるの、これ内緒だよ。」
周くんを笑顔で見上げた。
「///っと、牧野さんってパッと花が咲いたような笑顔するんですね。」
記憶がある頃から、私が笑うと大人たちが目を細めて微笑んでくれた。
笑顔だけは人から褒められてきたお陰で、人前で笑うことが好きだし、自分でも少しは気に入ってる。
類も、私の笑顔が好きだと言ってくれた。
今でも変らず好きだと言ってくれる。
道明寺への思いの信念が揺らぎ始めた頃、いつになく真剣な表情で「まきのの笑顔を守りたい」と言ってくれたこともあった。
そういえば、ここしばらく笑顔なんて意識したことなかったな・・・。
「体を温めにいきましょう・・・。乗ってください。」
「え?どこにいくの?」
「クスッ、おいしいココアのお店ですよ。」
周くんの車の中は、あふれ出す程書類で膨れ上がった紙袋・数冊の分厚い本・ルーズリーフ・ノートパソコンが押し込まれていて、
男っぽくそれでいて教科書の匂いのような懐かしく不思議な匂いがした。
「散らかってるでしょ。卒論準備で、荷物が一杯なんですよ。」
そう言いながら、ゴソゴソと新聞紙に包んだ物をつかんで差し出された。
大きい方の包みを開けると、中から見覚えのあるずんぐりした茶碗が顔を出す。
先日作った素朴な薄灰色の陶器。でも、思いのほか艶やかで素敵だ。
小さな方の包みの中も、全く同じ灰色の陶器だけど、かわいいお湯呑みだった。
「初めてにしては、どれも上出来だってほめられましたよ。
折角だから今度、この茶碗でお茶の点て合いっこしましょうか。
自分で作った器で点てるのって、どんなだろう・・・。ね、牧野さん?
僕、楽しみだな・・・。」
周くんはフロントに向き直り、サイドブレーキを解除しハンドルを握る姿は、どこまでも進んで行けそうな活力であふれて見えた。
進もこんなに立派に見えるのかな・・・。今日のお稽古は、小紋の着物を着用でいつもより背筋がピンと伸びる。
西門のお母様からいただいたものだ。
冷たい印象だったお母様が、跡継ぎ息子から頼まれたせいなのか、それとも生来の世話好きな性格のせいなのかわからないけれど、親切に茶会用の着物を見立ててくださる。
そして、こないだ振袖を見立ててくださった時、この小紋の着物を譲ってくださったのだ。
「つくしちゃん、自分の着物があれば、お稽古にも力が入りますよ。」
確かに、帯が体の重心を下げ、正座の姿勢が楽な気がするし、袂(たもと)の払いが楽しくテンションがあがる。
けれども、お点前の終盤になると、いつもより背筋を伸ばしていたため、建水を持つ左手に力が入りすぎて、ぎこちない立ち上がり方になってしまった。
「牧野、もう一度、建水を持って下がるところをやってみろ。」
またぎこちない立ち上がり方になる。
「おいおい、まさか建水をひっくり返す気じゃないだろうな。」
カチンときたけど、もう一度冷静にやり直す。
やはり、疲れ始めた背筋はいう事を聞いてくれなくて、スムースに立ち上がれない。
「牧野、これから練習も着物着用な。」
毎回着物となると、日頃から着付けない私には大変な負担だ。
思わず、すがるような視線を向けるが、黙って首を横に振る西門さん。
「よし、今日はおしまい。」
「ありがとうございました。」
「さすがに、慣れない着物で疲れたみたいだな・・・。一杯入れてやるから、飲んで帰れよ。」
そういって、薄茶を点ててくれる西門さん。
その手つきは、時空が緩やかに変ったようになめらかでありながら力強く流れるようで、所作に目を奪われる。
茶道は知れば知るほど奥が深く、動線美を細かく探ればきりなく興味深い。
西門さんの点ててくれたお茶は、素っ気無い言葉と裏腹に疲れた体を温かく和ませてくれた。
「おいしい・・・。」
「そっか・・・。」
お稽古が上手く出来た瞬間、それからお稽古が終ってホッコリする時、この茶室で安らぎを覚えるようになったのは、いつからだろう。
「西門さん、今日は特においしかったよ・・・。」
「ふっ・・・、いつもと変らないぜ。」
ニヤリと口角を上げる西門さん。
私は、持ってきた紙袋を差し出した。
「これ、遅くなったけど、お誕生日おめでとう。 お歳暮と思って!」
「俺に?」
「そう!こないだ作ったんだ。あんまし上手じゃないけど、日ごろの感謝が一杯つまってるからさ。」
西門さんは、袋の中から地味なお湯呑みを取り出した。
「へー案外、上手じゃん・・・。」
実は、なんて言われるかとドキドキしてたから、嬉しそうにお湯呑みを見つめる様子にホッとする。
「サンキューな。」
目を細めて喜んでくれている。
それが嬉しくて私も笑顔になる。
見つめ合った束の間、西門さんの嬉しい気持ちが流れてくる気がした。
初めて、気持ちが交流できたかもと思った。
「ねえ、これから一緒にご飯食べに行かない?こないだご馳走しかねたでしょ。」
「おう、あれか・・・。」
顔を少し傾けて考えたかと思うと、ニヤリと涼しげな眼差しを向ける。
「じゃ、うまいもん喰わしてもらおうか。」
足を踏み出しながら振り返り、『あっちで』と口パクで待ち合わせ場所を指示する。
何をさせても様になる粋な男だ。
頷いて返事した後、私も踵を返し着替えの部屋へ向かった。
帯紐に手をかけながら・・・。
つづく -
shinnjiteru18 18.
調子よく夕食に誘ってから、急いで頭の中のお店データを引っ張り出してみる。
突然の発案だったので、もちろんお店の予約はしていないけれど、今さら見栄はることもない。
優紀と何度か行ったことのある渋谷のオムレツ屋さんへ行くことにした。
渋谷駅近くでリムジンをおり、クリスマスイルミネーションに輝く渋谷のど真ん中を二人で歩くと、周りの女の子たちの視線を感じて懐かしさにほくそ笑む私。
辺り一帯は、購買意欲を掻き立てるようクリスマスバージョンに模様替えされ、すっかりお祭りムードだった。
お互いの手を取り合ったカップル達が、キラキラと楽しそうにその中を漂っている。
「ねえ、私たちもカップルに見えるかな?」
「見えるんじゃねえの・・・。」
それがどうしたというような返事をする西門さんは、夜の街を女の人と歩くのに慣れてるけれど、私は正直言って少しドキドキしている。
道明寺と長く付き合っていながら、実際こんな風に甘いクリスマスの街を歩いたことはなかった。
友達といっても、やはり西門さんは背の高い美男で、カッコいい。
私の小さな胸中は、クリスマスマジックにかけられた乙女心が出たり入ったり、とても忙しかった。
「それにしても、すっげえ人多いな。渋谷には最近あんまし来ねえし、ちょっと新鮮だわ。」
「それはそうでしょうよ。もっと高いお店ばかり行くんでしょうから・・・。
えっと~今日は、ちょっと庶民的に行かせてもらいます。」
きっぱり断言する私にニヤリと笑う西門さん。
何を思い考え歩いてるのかわからないけど、文句も言わないので目的のお店へとっとと入店した。
「さあ、何でも食べて。もちろん、ご馳走させていただきます。」
コートを脱ぎながらそう言って、メニューを見遣る。
「俺、牧野と一緒でいいわ。」
「なにそれ、やる気なさそうな感じ。折角、人がご馳走してあげるって言ってるのに。
一応、トマトソースやら和風ソースやらあるんだよ。選ぶの面倒なの?」
「いや、そういうわけじゃなくてな。
あれだ・・・、つまり、何がお勧めかわからないし、ここは牧野におまかせ。」
「もしかして、お財布心配してくれてる?フフフッ、正社員として働いてますから、心配しないで。はい、メニューどうぞ。」
ニッコリ笑顔までつけて、メニューを押し付けた。
「お前、よくそこまで理由を考え付くんだな。
今日は牧野と同じもの喰ってみたいだけ。大して理由なんかなくて、悪かったな。
なんだよ、キョトンとして・・・。」
「私のこと動物園の猿みたいに思ってるでしょ?
庶民は普通、こういうお店に来るんだよ。それで、仲良く一緒にメニューを開いて決めていくの。」
「で、ワインとかも相談して一緒に決めるわけ?」
「そ・そうだわよ。白とか赤とか、色々あるでしょうが・・・。」
「クククッ、じゃ、つくしちゃん、どっちにする?白が好き?それとも赤?」
椅子の背もたれから体を浮かし、その端正な顔を近づけ尋ねる西門さんは、またからかって巧みな会話にまた私を引きづり込んでいく。
「そういう手にはのりません!」
「何が・・・?俺、悪いこと何かした?
けど、お前こういう時は、ものすごく活き活きとしゃべるんだな。
おかしな奴だよな、まったく・・・クククッ。
ほら、注文聞きに来たぜ。」
結局、私が全部決めて注文した。そんな私を、西門さんはじっと見つめていた。注文した後の西門さんは、話も上手くて飽きないし、スマートに追加ワインを頼んでくれたりする。
『さすが女たらしだけあるわ・・・』と納得する一方、芸術家としての奇特な才能を持つこの男の真摯な姿を知るだけに、
ギャップを感じ当然のようにいつもの疑問が浮かんでくる。
「そういえば、周くんは西門さんと違って真面目ないい子だよね。
こないだ、部屋に誘ったんだけど遠慮されちゃったし、車の中にはどっさり卒論準備の書類とか積んでてさ、真面目な学生そのものだね。
女遊びなんか、絶対してないって感じだよ・・・。」
「お前なぁ・・・あいつも一応男なんだぜ。部屋に連れ込んだら、何するかわかんねえぜ。」
ジロリと睨んでるけど、口元は笑っている。
「あんた、それが兄のセリフ?周くんに限って、それはないよ。」
「周のやつも俺の血と一緒で、親父の血を受け継いでんだぜ・・・いつ血が騒いで牙を剥くかなー?」
「何、ビビらせてんのよ。
F3だって、私には何も感じないでしょ?
結局、色気ない私みたいなのは、対象からはずれてんだろうし・・・。」
「お前、いまだにそういうことマジで言ってるわけ?馬鹿じゃねえの?」
「は?馬鹿と・・・?」
「まあ、確かに色気ムンムンとは言い難いがなぁ・・・年頃の娘だろ、気をつけろよ。」
こうして、時々ふいに優しい言葉をくれるんだ、西門さんって人は・・・。
「ねえ、西門さんも、本当は真面目なのにどうして隠すの?」
西門さんの機嫌を損ねる質問だとわかっていた。けど、とうとう言葉に出してぶつけてみた。
それは、西門さんを知れば知るほど感じる疑問であり、そうなってしまう理由を出来れば取り除いてあげたいと思い始めたからだ。
それは、ただのおせっかいで、ただ我が師としての理想像を押し付けようとしてるのかもしれない。
でも、西門さんには汚れて欲しくない。
そのきれいな腕を、一夜の戯れに染めて欲しくない。
あんなに純粋に芸術を愛する人だもの、きっと、純粋な愛情を一人の女性(ヒト)に注ぎ、幸せになれる人だと思う。
「隠す?女遊びのこと言ってる?それは男の性(さが)のせいなんだよなぁ~つくしちゃん。
ホイホイ付いて来るんだから、ありがたくいただいてるだけ。おっと、失礼・・・仲良くするだけ。
でも、最近は大人しいもんだぜ。
仕事も忙しいし、いつまでもそんなことやってられないしな。」
「じゃあ、こないだのキスの人は?」
「それ、俺を尋問してるつもり?」
ニヤリと口角をあげながら、首を傾ける西門さんのトーンが少しゆっくりに変った。
そして、やっぱり話を反らすんだ。
こう言って・・・。
「もしかして、妬いてくれた?」
「////もう、そうやっていつもからかうんだから・・・。」
「俺に口で勝とうとするのは、10年早いの。」
10年経っても、勝てない気がした。
その話はそれでおしまいになって、違う話題を振る西門さんにつられる私。
英徳での懐かしい話・茶事でのハプニング・先月号の男の美学ページの感想・・・・など、たくさん話して盛り上がった。
久しぶりに、猫がじゃれあうような会話もして、思いのほか華やいだ気分で楽しんでる自分にも驚く。
お店の外に出ると、12月の冷たい空気は容赦なく、息が白い。
「う~、さみ~な。あっ牧野、ご馳走さん。」
「どういたしまして・・・。本当に楽しかったよ。」
マフラーを口元まであげながら、もう帰るかと聞く西門さん。
なんだかもう一軒行きたい気分だと告げると、すかさず先を歩く西門さんの黒い革ジャン姿がすごく格好よく見えて、胸がキュンとした。
こんなケバケバしいネオンの中を歩く姿も様になると認めざるをえない。
もう、非日常的な渋谷の街のクリスマスマジックにすっかりとらわれていたのかもしれない。
「牧野、寒いだろ。これ、使え。」
そういって、男物のグレーの手袋を渡してくれた。
「俺は、手をポケットに突っ込んでるから・・・。」
手袋を手に取り、見上げた西門さんの瞳が銀色に光って見えた。
多分その時、私は恋に落ちたのだと思う。
その気持ちを自覚するのは、まだ後のことだけれど。
つづく -
shinnjiteru19 19.
私の朝は、だいたい決まった作業の繰り返し。
洗濯機を回すことから始まり、新聞に目を通しながら朝ご飯を口に突っ込み、バタバタ後片付け・洗濯物干し・ゴミ収集の袋閉じの流れ作業。
スケジュールを確認しながら、簡単な化粧を塗るとその日一番の洋服を選ぶ。
丸首の薄手セーターに合わせて、買ったばかりのツイードパンツか灰色のボックススカートか悩んでいる時だった。
Truruururururururu・・・・・・・・・
突然、携帯の呼び出し音が鳴り響き、手に取り開いてみる。
えっ?・・・・・
その男を表す活字に呼吸も忘れ、あまりの息苦しさで吐き出された短い吐息。
応答ボタンを押す指も麻痺したように重い。
「・・・牧野か?俺だ・・・」
「 ・・・・・・。 」
「びっくりして声も出ないか?電話で話すくらいいいだろ・・・・迷惑か・・・?」
「・・・ 道明寺
いいよ・・・ごめん、びっくりしちゃった。」
「クリスマスだろ・・・どうしてるかと思ってな・・・。」
「あっそっか、今日は ・・・ メリークリスマス。」
「おぅっ・・・・。
毎年、お前にプレゼントを選んで一年の終わりを感じてたのによ・・・。
なんか、トチ狂ってよ。」
削ぎ落とされた感傷的な言葉で、はりつめた強張りが力点を失うのと同時に思考が回転し始める。
「体壊してない? まだ、会社じゃないの?」
「あぁ・・・まあな。
クリスマス・ホリデーのうちに、デスクワークを片付けちまおうと思ってな、今日は朝から篭りっきりだ。イヴの夜だというのによぉ、まだ仕事だ・・・。」
「そう・・・。日本は、祝日じゃないから、こっちも仕事。」
「牧野も仕事か。お前、雑誌の編集してんだったよな?・・・楽しいか?」
「そりゃね・・・。大変だけど、結果が見えやすいし遣り甲斐あるよ。」
ふと今日の予定、新スポンサーへの挨拶とバレンタイン企画案提出を思い出し、気が急き、時計を見遣る。
「そっか・・・頑張れよ。」
「うん、ありがと。」
「牧野・・・お前は、楽しくやってんだな?」
「うん、まあね・・・結構、楽しいよ。」
あの日、鉛のように重い心を引きづりNYへ飛んだ。
清算を主張してから、まだ3ヶ月ほどしか経っていない相手へ、自分の口から出た言葉があまりにも軽いトーンでハッとなる。
自分は、喉下過ぎれば熱さ忘れるこんな冷たい女だった?
「そうか・・・。」
「毎日、色々あるし・・・。」
「色々・・・か」
深い意味はないつもりだったのに、押し黙る道明寺。
道明寺の低い声と私の上ずった声は、平行線のまま混沌とした色を帯び出す。
ポンポン言い合えたあの頃のように、友達として話せる日が来るのか・・・。
その沈黙に耐え切れなくなった私は、電話を切る言葉を送ってしまう。
「道明寺も頑張ってね・・・。」
「・・・ 牧野、お前、好きな奴でもできたか?」
「そんなのいるわけないじゃん。何、朝っぱらから言って、あんたおかしくなったんじゃないの・・・?そっちは夜でも、こっちは朝なんだからね!」
最奥の痛点を突かれて逆上した動物のように、どやどや心中を駆け巡るうるさい鼓動を抑えきれず、乱暴に口走る。
「ふっ、やっとお前らしいセリフが聞けたな・・・。」その日の午後、類の会社へ立ち寄った。
挨拶をしに行ったスポンサーのビルが、花沢物産と近かったせいもあるけど、何よりも類の顔を見たかった。
パンクしそうになると、類がやさしく余分なものを抜いてくれて、いつの間にか駆け込み寺のような存在になっている。
『牧野から元気もらってギブ・アンド・テイクだから・・・』って言うけど、どう考えても類が割り負けしてる。
何のアポイントも取らず多忙な類に会える可能性は期待できなかったけど、受付嬢が類に連絡を入れるとすぐに26階一番奥の部屋へ通された。
トントン
「どうぞ。」
扉を開けると、ブラインドウから差し込む陽光を背にした類が笑顔で迎えてくれた。
類の机の側にもう一つ立派な机が置いてあって、秘書らしき男性が軽やかにワープロを叩いている。
ここには何度か来てるけど、側に他人を置く類を見るのは初めての光景だ。
「ごめんね、急に・・・。これ、差し入れ。」
来る途中に買った○ゲインを一箱、応接セットの机にそっと置いた。
「それ、精力剤?」
「ち・ちがうでしょ、栄養剤よ。こないだ疲れた顔してたから・・・。」
「クッ・・・サンキュー、牧野。
牧野、さっきの書類、今から先方へ届けてくれる?」
明らかに目の前の男性に声をかけている。けど、さっき牧野って言ったし・・・。
その男性が退出すると、フワア~ンと背伸びをし、立ち上がる類。
「確認と詰めの作業があんまり多いから、時々秘書と顔つき合わせて仕事してるんだ。
あいつの名前も、牧野。 牧野と一緒にいるみたいでいいでしょ。」
ニコリと微笑む類に開いた口が塞がらない。
「プッ・・・あんた・・・」
「それで、今日は何? 牧野がここに来るってことは、何か聞いて欲しいことがあるんでしょ?総二郎に何かされた?」
「は?そんなんじゃなくて・・・、ちょっと類の顔が見たいなと思っただけだよ。」
「ふ~ん、理由はどうでもいいけど、牧野が来てくれるのは大歓迎だからね。」
「ねえ、類の会社、UAEに進出するんでしょ?駐在とか具体的な話はまだないの?」
「年が明けたら、JAFZ(ジュベル・アル・フリーゾーン経済特区)で不動産受け渡しの締結するから、短くても2ヶ月くらいあっちに行くけど。」
「そう・・・。」
すがりつく主幹を失った葛草のように、心もとなげに揺れる心は、やはり見透かされていた。
「俺の方が、牧野の元気パワーをもらえなくてやっていけるか心配だよ。」
見つめる薄茶の瞳が、光を透過させ、占い師が持つ不思議な水晶を思わせる。
千里眼なのだろうか・・・。
「類・・・。」
「牧野、言ってみな。何があった?」
「今朝・・・道明寺から電話があった。
道明寺は、すごく穏やかに話してくれたのに、何故か気まずくなっちゃって・・・。」
「どんな話したの?牧野が、変なこと言ったんじゃないの?」
「普通だよ。ただ、軽くしゃべれる自分が、冷たい女みたいでびっくりしたの。」
『好きな奴が出来たのか?』といわれた事は、どうしても言えなかった。
「牧野が、今すぐ司と関係を修復したいと思わない限り、そのままでいいんじゃない。」
類は、肘をつき両手で鼻と口を塞いだまま、不思議なものでも見るような眼差しでそう言った。
類薬の特効性も見られず、何も変らない状況で、私はワサワサした気持ちを抱えたまま、雑踏へ再び紛れ込む。
街中が結集してクリスマスを祝っているのに、一夜明ければ急いでお正月の準備にとりかかるクレイジーな季節。
体が透明な風船の中にスッポリ入って、他の風船とぶつかりながらも、カラカラに乾いた冬空を漂っているように感じた。
つづく -
shinnjiteru20 20.
睦月の冷たい空気も、一年の事始めには丁度よくピリリと気持ちいい。
その上、今日の空は初釜式にぴったりの快晴だった。
私に晴れ着を着付ける西門家の仕え人は、一つ一つ丁寧に肌襦袢の上を美しく創り上げていく。
壁には、家元夫人からお借りする見事な振袖が余すところなく衣文掛けに掛けられ、着物として人目に触れる瞬間を心待ちにしているかのようだ。
ううん、それは、今の私の心境・・・初めて着る振袖にワクワク心躍っている。
美しい手描き京友禅の振袖は、光沢のある水色に白い柳が垂れ下がり、小梅と松が濃淡の藍色と落ち着きある小豆色で染められ、
大きな花笠が深い銀杏色と金糸目で華麗に描かれてとても素敵なもの。
西門さんのお母様は、袖柄と身柄の調和が気に入って、振袖のままずっと残されていたらしい。
想い出のある物を私なんかに快く貸してくださるのは何故なのか尋ねそうになった。
「着物を作る工程には美の心がいっぱい詰まってるの。たくさんの熟練職人さんが作ってくれた芸術品を、箪笥にしまい込んでちゃ、生まれてきた甲斐ないじゃない。
着物はどれも、人に着てもらい、たくさんの人に見てもらいたがってるのよ。
・・・そう言ってるように見えないこと?」
西門家に嫁ぎ、三人の息子を生み育てながら、家元夫人として陰日なたで力強く生きている一人の女性の豊かな感性に触れ、年の功だけでない大きな存在感を感じた。
無表情でサクサク話す口調は、母親らしいとは言い難い。
けれど、無駄のない言葉の中に、西門の家で培われた自信と芸術品を正しく鑑賞する気高さが含まれている。
西門さんは、お母様似なんだ・・・。
お母様譲りの整った顔立ちに加え、溢れ出る美術品への執着と強い愛情。
生身の人間に対してはめったに注がれることのない慈愛に満ちた眼差し・・・。
西門さんが、ギャラリーで清水焼茶碗を見つめていた横顔と重なる。
お母様も少し不器用なだけで、根は優しい人にちがいない。
茶道西門流の初釜式ともなると、海外を含め全国から縁のある招待客や西門流分家、また多くの師弟が出入りする大きな行事。
今日は着付けの手配まで心配してもらった上、末端もいいとこの弟子でありながら、勉強のためと今生庵への席入りを許されている。
友達と紹介されただけで、格別の待遇を受けていいのかな・・・?
考え事をしている間に、スルスルと帯の間を通る帯締めの音が聞こえた。
仕上がりが近いことを知り、自然に顔がほころんでくる。
「お嬢さん、とてもきれいですよ・・・。さあ、いってらっしゃい。」
「どうもありがとうございました。」
手際よく着付けてくださった人にお礼を言って、障子の外に歩みを進めた。大きく一呼吸。
さて、西門さんはどこにいるのだろう・・・?
自ずと着物姿の男性を探している私。
忙しくしているのだろうか?
会えるのかな。
今日は立場上、私なんかとゆっくり雑談もできないだろうけど。
この姿を、なんて言うだろう・・・?
また、からかう?
あの涼しげな目元が緩むのを見てみたいと思った。西門家の長い廊下ですれ違った人々も庭を歩く集団も、みんな華やかな晴れ着に包まれて、年始の祝いムードいっぱいだ。
改めて、西門さんのお母様には感謝。
スーツで来なくてよかったと思う。
寄付(よりつき)でしばらく時を過ごし、外露地の腰掛で亭主の迎え付けを待った。
やって来たのは、こげ茶の正絹に身を包んだ周くんだった。
私と目が合うと、目を細め、にこやかに微笑んでくれた周くんの着物姿。
摘み取ったばかりの茶葉のように爽やかで、それはそれでとても似合っている。
黙礼後、いよいよ今生(こんじょう)庵に席入りする。
床の間には、長い柳が床まで垂れ下がり、黒い墨で何やら書かれた掛け軸が飾られているけど、読めず早々あきらめた。
西門流にとっては、いわば聖域のような場所であり、私のような下っ端には恐れ多い場所。
そこは、意外に地味な印象の場所だった。
いつもの間にか黒い紋付を羽織って現れた周くんは、挨拶の口上を述べ、濃茶を点て始める。
その所作は、遊びがなく切れがあるのに、決して荒っぽいわけでもなく、とてもしなやかで、思わず息をひそめて見つめてしまう。
『やっぱり、普通と違うわ・・・。』
西門さんといい、周くんといい、どうしてこうも魅せる所作が出来るの。
音もなく、柄杓を手に取り炉からお湯をくみ上げる。
のぞいた白い腕は、いつかビストロで見た茶室が似合いそうな腕で、茶室というパズルにぴったり合う。
力強く茶筅で練り上げた濃茶をいただいた後の問答、正客が尋ねた茶の銘や詰にもすらすら答える周くんは、立派な亭主の雰囲気をまとっている。
進と同じ大学で多くの時間、研究に勤しんでいる学生でありながら、西門家の人間として役目を果たし、茶道への思いも真剣であると見て取れた。
西門か研究か・・・選ぶ苦悩を思うと、終わりのないスパイラルに紛れ込んでしまい胸が苦しくなる。
『力になれるものなら、なってあげたい。けど、当たり障りないアドバイスしかしてあげられっこないよ。』
私は亭主の見送りを受け、近い未来、周くんが下す選択を思案しながら今生庵を後にした。
「牧野さん・・・。」
万両の赤い実に目を留めていると、周くんが後ろから声をかけてきた。
そして、耳元に顔を近づけ小声で話す。
「牧野さんの着物姿、すっごくきれいです。
僕の点てたお茶を飲んでる牧野さん、色っぽくてゾクゾクしちゃいましたよ。」
「はい?色っぽい?」
「/// ホント、目のやり場に困りました・・・ハハハ。」
「///あ・ありがとう・・・。
周くんの方こそ、すごいじゃない。
立派過ぎて、感心してたんだから。」
「本当なら、嬉しいな~。
今度は、牧野さんが点てるのを見せてください。
例の茶碗で点てたいですね、・・・近いうちに。」
「でも、採点なんかしないでよ。」
「僕は牧野さんの先生じゃないですから・・・。じゃ、約束ですよ!」
人懐っこい笑顔を浮かべ手を振りながら、周くんは再び今生庵へと戻っていった。今年の初釜は、天候に恵まれ足元の心配要らずでありがたい。
俺は、時期西門流家元として初釜の期間中、賓客の接待を任されている。
年始のお稽古始めでもある初釜式は、嫁入り前の娘から孫がいそうな年寄りまで、皆、それぞれ晴れ着に身を包み、
屋敷では協奏曲を具現化したように色と色が競演する。毎年、これを見て、新しい年を迎えた気分になり、俺にとっちゃ恒例正月行事みたいなもんだ。
第一席の賓客を今生庵から送り出した後も、庭木の説明や世間話でもてなしていた。
今日は、牧野が第二席の濃茶で今生庵に入る予定のはずだ。
牧野のことは、おふくろに頼んでおいたから、大丈夫のはず。
承諾したからには、きちんとやる人だから任せた。
それに、牧野の世話を焼く時、言葉に出さなくても楽しんでるのが俺にはわかる。
牧野の人徳なのだろうか、なんせあいつのことだからな・・・。
それでも、牧野はちゃんと来ているかと廊下に目を向けると、吸い寄せられるように一点に釘付けになった。
色とりどりの錦鯉(にしきごい)の中を、水色に光る一匹の美しい鯉が泳ぐように、あいつはそこにいた。
目立つほどに美しいことを知る由もなく、一際輝く光を纏い、キョロキョロしながら泳いでいる。
『結構、きれいじゃないか・・・。』
できれば、この場を抜け出しあいつの近くに行って、あいつの大きな瞳をのぞきこみたかった。
あいつと言葉を交わし、声を聞いて、またからかって、クルクル変る表情を眺めるのもいい。
時期家元の立場を放り出し、あいつの側でこの祝いを楽しむのもいい。
そして、小さな手を取りそのまま抜け出すのもいいかと・・・。
あいつの口から出る文句を、からかい半分キスで塞ぐのもいいかもしれない。
それくらいのお年玉をもらってもいいんじゃないか、俺。
真っ赤になるあいつには、何とでも言って、ややこしく考えさせない自信はある。
あいつの操縦くらい朝飯前。
今さら、無理矢理こっちに振り向かせようなど、思ってどうする。
類ではないが、今のままでも十分楽しんでる。
男女の肉体関係を夢見て夢精する程ガキでもない。
師弟の関係もまんざらじゃねえんだな、これが・・・。
牧野の信頼を失うリスクを背負うより、ずっと宙ぶらりんのままでいいか。
ふざけたキス、今の俺のラインはそこまで。
そこから先は、さすがに腹くくらないとな。
司、お前はこのまま黙っているつもりか。
牧野が欲しくてたまらなかったんだろうが。
あいつは、ますます輝いていくぞ・・・。
動くなら早くしてくれ、じゃないとこの先、類も俺も、遠慮しなくなるぜ。
男と女、何が起こっても不思議じゃない。
美しく輝くものは、狙われる運命だ。
俺の現実は、客を放り出すわけにもいかず、水色の鯉がいきいき泳ぐ姿を見えなくなるまで目で追い続けた。
第二席の亭主は、周か・・・。
ここしばらくあいつの亭主ぶりを見てないが、評判がいいらしい。
茶の筋がいいだけに学問との選択に揺れるだろうが、学生の間、じっくり将来を考えればいい。
選択の時間が与えられるだけ、恵まれてることに気付いてるのか。
どう過ごすかは、あいつ次第。
牧野と関わって、周も一皮剥けるか・・・なんせ、あの牧野だからな・・・ククッ。結局、最後の客を見送った時には、既に牧野はいなかった。
ダイニングテーブルで一息ついていると、周が着物姿でやってきた。
「おう、周、久しぶりだな。」
「総兄さんも。元気?」
「まあ、ここ座れ。お前も疲れただろうが・・・。」
俺は、牧野の様子が知りたくて周を引き止めた。
「牧野、来てただろ?あいつ、ヘマしてなかったか?」
「きれいな所作だったよ・・・
総兄、ちゃんと先生してるんだ。」
「何?茶室で、いちゃついてるとでも思ってたのか?」
「でも、牧野さん、なんだかいいよね~。
道明寺さんと別れたって言ってたけど、今、誰ともつき合ってないんでしょ?」
「そうじゃねえの?どうみても、男っ気ねえし・・・。」
「俺、道明寺さんが牧野さんを好きになったの、わかるよ。」
「あいつ、既成概念が当てはまらないとんでもない奴だろ?」
「だから、もっともっと知りたくなるんじゃん。」
「チッ、ガキのくせに生意気なこと言うな。」
何も言い返さず、素直にムスッとする周は永遠に弟キャラのはずだった。
俺は、周の存在を軽く見過ぎていたかもしれない。
いつまでも俺の後ろを付いてまわるチビではないというのに・・・。
周が、俺に火をつけることになるとは思いもよらなかった。
つづく -
shinnjiteru21 21.
「お前がここに呼び出すなんて久しぶりだな。」
「おう、しばらく来てなかったけど、マスターも健在で安心したわ・・・」
「おやじ面のマスターが見たくて来たわけじゃないだろ。
まあいい・・・。今日は、とことんつきあうぜ。」
そう言い、どっしりカウンターに座りなおす旧友は、俺のために忙しい時間を割いて来てくれたに違いない。
自慢のウェーブヘアを切り落とし、額に少しかかる程度になった企業戦士。
俺たちは、属する世界を色濃く身に纏い始め、もはや躊躇することもしなくなった。
「けど、この店懐かしいな・・・。大学頃の俺らの隠れ家だったよなぁ。
類にも声かけたのか?」
「いいや。」
「そうか・・・。」
遊び人と言われた俺たちにも、たまには女抜きの夜が欲しかった。
類を無理矢理引き連れ、三人でよくこの地下のバーにやってきた。
集まっては、酒を煽るように飲む。
決められた宿命のプレッシャーに一人では耐え切れず、真正面から見つめようと不細工にもがいた時間だ。
東の空が白みがかった頃、重い瞼と戦いながら、最高級の柔らかいベッドへ向かうことが、至福と思えたささやかな青春だった。
「あきら、イタリアへ行かなくていいのか?先延ばしにしても、仕方ねえだろう。」
「絶対的な辞令でも出てくれりゃあ行かざる得ないだろうが、親父は俺の意見を尊重してえみたいだし、ある意味自由裁量だから。
まあ、来年あたり行くかもな。」
「そうか・・・。」
ポツリとつぶやくと、よほど寂しげに見えたのか、それとも、言葉にするチャンス到来と勢い込んだだけなのか知らない。
けど、根っから親切な男は励ますように俺に向かって言う。
「お前には、牧野がいるぞ。それにあいつは、今、フリーだ。」
「・・・」
牧野という響きに、再びあの光景が蘇る。
感情が激しく高ぶって、手に持った琥珀色の液体を、一気に飲み干した。
喉を伝う焼き尽くすような感覚が、胃の辺りまで下りてくる。
グラスの中のアイスを睨みつけても、俺の心にある醜い感情は消えない。
それは、認めたくないが、 -嫉妬―。
ダッセーな、俺。
青白い炎に支配されて、どうしようもなく、あきらを誘った。
「総二郎、お前、気付いてるんだろ?」
「・・・、ああ・・・。」
ジロリと俺を見遣るあきらは、少し驚いた表情を見せた。
「何があったか知らんが・・・、だいじょうぶか?」
そうだよな・・・あきらだもんな。
気付いてながら見て見ぬ振りを続けてやがったか。
そうだ、俺はずっと牧野を見つめてきた。
牧野が、俺らと言葉を交わすようになってすぐの頃から。
英徳で赤札貼られても、隠れるどころか、目を剥いて立ち向かってきた奴だ。
一目を置くだろう、誰でも・・・。 それが、いつの間にか、ダチに変り、そして、手を出してはいけない女になった。
性欲を満たす柔らかな女体を抱きながら、あいつの笑う顔がよぎり、激しく打ちつけ果てた身勝手な夜もあったが、当の本人は全く別の位置から俺を魅了し続けていた。
そのこと自体が、俺にとっては奇跡だった。敷かれた運命から抜け出したいともがいても、実行に移す勇気もなく、余りある金と女が当たり前だと思って過ごしていた薄っぺらな頃。
それが、恵まれた境遇だと知っていながら、あいつに会うまで本当に理解してはいなかったんだ。
信じられねえくらい貧乏なあいつの家族。
高校生が家族の大黒柱としてバイトに励むことは、法に触れるんじゃないかとマジで心配したぜ。
家計を助け、恋人に会いに行くための旅費まで稼ごうとしていた。 司に言えば、取るに足りない事なのに、頑なに援助を拒み、自分の力で前に進もうとする奴。
人前で、ギャーギャー喧嘩はするし、大声を出す。
周りの女達と同じ染色体を持っているとは、到底思えねえ。
誤魔化すという事を知らねえ、単純細胞な奴で、自分のことより人のことだ。
司の母ちゃんにまで、啖呵をきり、友情の為、恋人を切り捨てたこともあった。
けど、俺にはその強さが羨ましかったんだ・・・。
好きになった女との恋愛さえ、まともに向き合うこともしなかった。
万事、事なかれ主義でやってきた俺にはまぶしすぎて、司には悪いが、胸の奥にどんどんあいつが住み着いていくのを自覚していた。
あいつらの結末から目を反らすことはできなかったし、成就しかあり得なかったはず。
なのに、司と切れることになるとは、何度も耳を疑ったぜ。
牧野に茶を教え始めた頃は、あいかわらず、くるくる変る表情が愉快だった。
意外だったのは、想像以上に茶道を真剣に学びたがったこと。
恥をかかぬ程度でいいんじゃないかと言う俺に、今まで『日本の美』について無知だった自分が恥ずかしいとかぬかしやがった。
類が、どういうつもりで職場を紹介したのか知らないが、あの牧野がここまで芸術分野に関心を示すとは想像もしてなかったことだ。
新しい世界に触れてみて、楽しくて仕方ないと目を輝かせる子供のように、みるみる内に覚えていった。
教え甲斐のある弟子だと言ってもいい。
手に取るように見えたあいつの感動・喜び・戸惑い・焦り・疲れ・・・。
すぐに俺は、あいつがやって来るのを楽しみに待ちわびるようになる。二日前のことだ。
セミナーの仕事から帰ってくると、使用人から牧野が来ていると聞いた。
足早に稽古部屋に向かうと、ふざけたように袱紗(ふくさ)をたたむ牧野が目に入る。
朗らかで和んだ空気の中、愉しそうな二人の笑顔があった。
周が踏み込んできやがった。
何故、二人でここに居る?
何故、そんなにも笑ってる?周くんから誘われ、いつも西門さんに稽古つけてもらう部屋で、お茶を点てていた。
私の筒茶碗も、こうして丁寧に拭き清められると、価値が上がってくるような・・・。
家元夫人が言うように、着物も茶碗も本来の目的として使われるとき、本当に喜んでるのかもしれない。
「なんだか不思議!
お茶を点てて遊ぶってこと、今までしたことなかったから・・・新鮮。」
「僕もです。こうして、肩の力をぬいてやりたいように点てるのもいいものですね。
さっき、いつもより茶碗の位置を遠くに置いてたこと、気付きました?客観的に、自分と茶碗を想像してみたくてね・・・。」
「うそっ!気付かなかった。やっぱり周くん、うまいなあって思ってただけだよ。」
「牧野さんも、まだまだだなぁ・・・かなり、遠くでしたよ。はははっ・・・」
「本当に?」
「本当!」
「・・・・ふふっ・・」
「はははっ・・・」
些細なことだけど、少し違った角度からお茶に触れることが、風穴のように茶道の世界を広げ、身近に感じさせてくれるとは思わなかった。
今まで、決まりきった手順しか脳がなかった。
シンプルにおもしろい。
楽しい時間。
自分流に変えて点てるなんて、もちろん、基本あっての遊びだけれどしゃれてる。
娯楽の少なかった昔、人々は茶の運びを学び、次に和・敬・清・寂の精神世界を会得することに喜びを見出していたという。
時を経て多くの流派に分かれてきたのは、美しさの追求に尽きるだろうけど、先人達の遊びから生まれた新しい手順や精神が系統立てられた結果ではないかとよぎった。
赤い袱紗を手にし、両手で扱う。
「私も、ちょっと変えてみよう・・・、いいよね?ふふっ」
「ご自由にどうぞ。」
にっこり笑う周くん。
しゃれっ気のつもりで、いつもより少し遠く高い位置でたたんでみた。
やっぱり、いつものほうがいいかな?と思った時、この茶室で聞きなれた声が聞こえた。
「入るぞ。」
西門さんは、障子を開ける手もそのまま、しばらく私たちを見つめてから、ツカツカと近づく。
そして、背後から背中越しに私の両腕を掴み、袱紗ごと手の位置をいつもの位置へと正した。
「牧野、何をしてる?!俺に恥をかかすつもりか?」
「ええ・・っと・・・」
突然のことで、返事にまごつく私。
すると、周くんが目の前ににじり寄ってきて、ズシッと私の両腕を掴み、元の高い位置へと戻した。
「総兄、今日はこれでいいの!」
「勝手はするな!」
また、西門さんの手によって背後から下げられる。
「お稽古じゃないんだから、総兄は黙っててよ!」
と言いながら、また前から持ち上げられる。
「お前が黙れ!」 下げられる。
「遊んでるだけだから!」 上げられる。
「誰が、遊んでいいと言った?」 下げられる。
「いちいち、許可もらう必要あるの?」 上げられる。
「・・・・」
口先だけのセリフを小さく吐き出した。
「まだ遊ぶのは早い。型が乱れるだろうが・・・。」
許可が要るかだと?
つづく -
shinnjiteru22 22.
許可が要るかだと?
網膜から伝わる振って沸いたような情報と足元から駆け上る感情が、ぶつかりあって激しくスパークした。
生まれてきたのは熱い怒り。許可など知るか・・・。
怒りの矛先は、勝手にふざけたことなどではない。
何だ?何だ?茶室に広がる和やかな空気は・・・?
思い起こせば、牧野を指導しながら育んできた師弟の関係は、司も類も踏み込めず、自ずと脈を打ち独り歩きを始めた。
今なお、姿を変えながら進展し、どこへ向かおうとしているのかわからないでいる。
閉ざされた箱の中で、羊のように従順な牧野を支配することは愉楽そのもの、けれども、高みから眺めているとふいに心を動かされ、決してのっぺり穏やかといえない。
牧野の白い指先が、想定通りの流線を描き、静かに止まる。
息遣いまで感じられるほど、無遠慮に見つめると不思議にスーッとあいつが入り込んでくる。
牧野の強い瞳が喜びで輝く時、か細いうなじから仄(ほの)かな温度を感じ、俺の心中も喜色で染まり波打ち始める。
作法に戸惑い黒い瞳が曇れば、俺の体は牧野を包み込もうと、どこからともなく温かな血が騒ぎ出し、ワサワサ揺れて落ち着かなかった。
完全に俺の手中に居るように見えて、気を抜けば俺を翻弄する。
牧野の動きを支配しながら、実は踊らされることもしばしばだ。
俺に飛び込んでくるあいつの存在が、何かしらヒリヒリとした刺激を呼び、例えようのない好奇と悦楽に夢中になった。
そんな経験は、初めてでワクワクさせられた。
正直、このまま牧野に嵌まり込むのでないかと、戸惑ったりもした。
師と弟子の間に横たわる溝は、禁断の果実のように静かに毒づき、エロチックに姿をかえていく。
普通に生身の女を抱くより、もっと奥深い所で心を揺さぶり、男の股間をゾクゾク熱くするのだ。
『 何故、そこに周がいる? 』
障子を開けると二人が朗らかに笑いあって、楽しそうに遊んでいた。
牧野の手には、赤い袱紗が握られて、楽しげに空を切っている。
教え込むばかりで、これまで茶で遊ばせ無かったなと、チクリと胸を刺す。
牧野に柔らかな笑顔を浮かばせている周に激しく嫉妬し、沸々と怒りが湧き起こった。
いつの間に、これほどの仲になった?
何度も会っていたのか?
知らない間に、牧野は周に稽古をつけてもらって、楽しんでいたのか?
どんどん悪い方に考えてしまう。
縁は異なもの、味なもの。
俺の場所に周が座っても、誰が咎められるだろう。
牧野が誰とどうやって過ごして居ようが、俺に何の文句を言う権利がある?
後から後からやってくる自問自答に、どっと汗が噴出した。
同時に、何かがパッーンと袋を破いて出てくる感じがした。
目が覚めるように晴れ渡った中、明瞭な声で叫んでいる。
『 牧野は、俺のだ。 俺だけの・・・。 』
決まった相手を作り、引きづる恋愛感情は、御免だったはず。
一期一会の出会いを堪能し、朝が来れば淡白な別れを告げる関係には所有欲なんてややこしいものは存在せず、気軽なつきあいが体の髄まで染み込んでいた。
言葉を変えれば、それが俺のスタイルだったのに・・・。
周への嫉妬を隠す余裕もなく、牧野をなじってしまった。
幼稚な行為を思い出すと、居心地が悪くなる。
『 牧野、何をしている?! 俺に恥をかかすつもりか?』
玩具を取られて手を上げる幼稚園生と同じって、どういうことだ俺?
牧野は、平常心を逸脱した俺らしくない行為さえ、素直に師の教えと受け止めたようだ。
けれど、周は違う。
最後に俺に向けた言葉は怒気を含み、挑むような眼差しだった。
「 どういうつもり? 出て行ってくれない? 」光沢のある磨かれたカウンターに、ぶら下がる蛍光灯が白く映っている。
ぼやけた境界線の中央付近に焦点を合わせ、長い間考え込んでいた。
琥珀色のグラスを何度も空にして、繰り返し余計な感情をそぎ落としていく。
どうみても変な俺に、あきらはマイペースにつきあってくれている。
周に対する青い炎の中に見えた俺の思いは、生まれ立ての赤子のように裸ん坊で頼りなげだ。
「なあ、あきら。」
「なんだ?」
「・・・ 司。 司を呼んでくれ。」
「は?・・・ってか、あいつはNYだろうが。 総二郎?」
「司に話すしかない。」
「何を?」
濃茶の瞳は、どうやら俺に次の言葉を言わせたいらしい。
「動くつもりはなかったんだ。けどな、手を引っ込めてる自信もなくなったし。」
「牧野となんかあった?」
「 ・・・ 」
「行けばいいんじゃねえの!司と牧野は終わってんだから、遠慮する必要ないと思うぜ!司と話したところで、お前の気持ちが消えてなくなるわけないんだろう?
それとも、牧野は俺がもらうって宣言したいのか?」
「 ・・・ 」
「司だって、総二郎に遠慮なんかされたくないだろ。」
「悪いが、遠慮できそうもないな・・・。」
あきらは小さく口笛を鳴らし、グラスを高く掲げた。
つづく -
shinnjiteru23 23.
ペロ ペロ ペロ ~
「ちょっと、くすぐったい!もう、おしまい!」
「へぇ~、小さいのに器用に動かせるんだ。 よく知らなかったけど、きれいなピンク色してるもんなんだね。」
「おいしかった?
お利口さんだから、もう少し待っててね~。」
私の目の前には、今ゾッコンの彼氏を連れて行くからと電話をかけてきた桜子が、満面の微笑みを浮かべて座っている。
こんなに穏やかで優しい桜子の表情は、高校時代まで遡っても、思い出せない。
「バトラーは、今やうちのお店の看板犬で人気者なんです。
この子の着ているお洋服はよく売れるし、俗に言うカリスマモデル・・・かな、フフッ。
まだ子供なんだけど、とっても賢い子だから、店内に居てもお利口さんで静かにできるしねぇ~。」
目尻を下げて、バトラーの頭を愛おしそうに撫でる桜子。
薄茶色の毛並みは艶やかで、血統の良さを感じさせる。
きっと、目が飛び出るくらい高価なのだろう・・・。
けれども、クスッ、どこか滑稽な胴長短足のミニチュアダックスフンド。
桜子にされるがまま気持ちよさ気にジッとしながら、パッチリ開けた黒い両目で、店内を歩くスタッフを好奇心いっぱい見てる。
このアンバランス感が桜子の乙女心を鷲掴みにしてるのだろうな・・・。
「お仕事が終わると、このキュートな瞳で『お疲れ様』って言って癒してくれるんですよ。
この子は、絶対裏切らないし、私一筋ですからね。
最高の彼でしょう?
桜子はバトラーが居てくれたら、もう男なんて要りません。
男は、卒業!」
「あんた、卒業って・・・。
犬が本当に分かって言ってるわけ無いじゃん。」
「いいえ、絶対そう言ってるんですって!
先輩には、わからないかもしれませんけどね。」
親ばか、もとい、飼い主ばか?
桜子のお店は軌道に乗ってるみたいだし、盲目的愛情を注げる対象が出来て、情緒も安定してきたんじゃない?
まあ、よかった、よかった、幸せそうで・・・。
「先輩、この子のブリーダーさん紹介しますから、新しい彼氏どうです?
真っ暗な部屋に帰るのって、つらくないです・・・ねえ?
凍えた体を心までを温めてくれますよ。」
「いいえ、結構!
うちはアパートだからね、近所迷惑になるでしょう。コタツもあるし。」
「あーそういえば、西門さんの弟さんと上手くやってるんですか?
最近会ってます?」
「まあ会ってるけど、べつに何にもなってないよ。
周くんは、進の友達だからね。」
女二人の会話はリズミカルな調子でBGMに溶け込んでいく。
ザワリとその場の空気がかわった気がして視界を広げると、黒いジャケットに身を包んだ細身の優男(やさおとこ)と目が合う。
本来の待ち合わせ人が周囲の女の子の視線を集めながら、私達のテーブルへと近づいていた。
コツコツコツ・・・
「よっ!」
「西門さん。」
「おうっ。・・・んで、なんでここに桜子がいるんだ?」
「久しぶりなのに、その言い方は失礼じゃないですか?なんか他に挨拶があるでしょう?まったく・・・。」
「その小っこいの、お前の?」
「そうですよ~、バトラーと言いまちゅ~う、ヨロピク!」
桜子が子犬の片手を持ち上げて挨拶させるのを見て、西門さんの眉間に微かな皺が寄ったのを見逃してはなるまい。
「あ~、ごめんごめん、桜子から電話もらってね。
今日、西門さんと会う予定だって言ったら、その前にちょこっと会おうってことになってさ・・・。」
「折角のデートに横入りしてスミマセンね。お邪魔なようなので、すぐに失礼しますから。」
「何言ってるの、桜子。邪魔なわけないじゃん。
デートじゃなくて、今日は仕事の打ち合わせだから。ねえ、西門さん?」
「まあな。」
バトラーは桜子が言うように本当にいい子で、私たちが近況報告し合う間、吠え方を忘れたように静かに待っていた。
「・・・んで、見かけた時、どうして声かけてくれなかったの?
西門さんのお母様からお借りした振袖、すごかったんだよ。
本当に素敵だったのに・・・。ちゃんと見た?」
「だから、見たって・・・。水色の振袖だろ?
お前、廊下をキョロキョロしながら歩いてたよな。」
「呼び止めてくれればよかったのに。」
「結構距離があったし、接客中で手が離せなかったからな、普通に考えて無理だろうが。」
「でも、西門さんなら、どこでも顔出せるし、探してくれてもよかったじゃない。」
初釜の日、西門さんは振袖姿の私を見たと言う。でも、私は・・・。
「はは~ん、そういうことですね。先輩は、西門さんの反応が見たかったんですよね?
振袖姿で悩殺された西門さんねぇ・・・。
かわいい乙女心じゃないですかぁ・・・。」
「 /// 。」
桜子に核心をつかれて、ドキッとした。
「ふふっ、ブリーダー紹介しなくてもいいかもですね。
先輩、がんばってください。じゃ、桜子はこれで失礼しますね。」
「ちょ、ちょっと、桜子・・・」
眠そうなバトラーを小さなケージに入れて、桜子はお店を出て行った。
目の前の男は、面白そうに私をジーッと見ながら言った。
「そうなの?つくしちゃん?」
「べ、べつに、西門さんを見たかったわけじゃなくて・・・。
まあ、お母様にお借りした着物だから、感想とか聞いておきたかったなと思って。///」
「ふ~ん、もう一回着る?」
整った顔で真っ直ぐ聞かれると、無条件で頷いてしまいそうになるから怖い。
体勢を立て直す隙を与えないなんて反則だ・・・///。
「は?そ・そんな簡単に・・・。」
すると、お勘定書を手に取り『 出る? 』って目で聞いてきた男。
出る、出る、出ます!
こくりと頷くしかないでしょう。店の前には、西門さんの大きなバイクが堂々と停まっている。
「これで行っちゃえば、早いんだけど・・・15分くらい。 乗ってみる?」
「あれっ?女は乗せないんじゃなかったっけ?」
「あの頃は格好つけて言ってただけだ。 ホイ、これかぶれ。」
差し出されたヘルメットを受け取りながら、まさかこんな展開になるなんて想像もしてなくて、どうしようもなく心が躍った。
「そうやって俺に腕を回して、しっかりしがみついとけよ。
気を抜いて離したら、大怪我するぞ。」
「うん。」
ブルンブルン・・・・轟音をたてるバイクに私のドキドキもマックスに達しそう。
細いと思っていた西門さんのウエストは、意外に大きく固くて、まるで公園の大木にしがみついてるようだ。
少しでも気を抜けば、すぐさま後ろに吹き飛ばされ、道路に落とされてしまいそうになる。
落ちたらどうなるか・・・その先が頭に浮かんできて、ブルッと震えた。
目的地まで走らせる西門さんに全てを預け信じるしかない。
バイクの後部座席に乗ってる人って、皆命がけだったんだ・・・と妙なことに感心する。
西門さんの背中にぺったり右頬をつけて、絶対離れないように必死でしがみつく。
徐々に西門さんの体温が頬に伝わって、心臓がむず痒くなってきた。
どうしたもんだか思考をグルグル回転させるも、この状況下、西門さんの背中だけが頼り。
その心臓をきつく押し付けるようにしがみついた。わずか15分間のトリップ。
激しい向かい風と西門さんの体温に平常心を根こそぎ持っていかれる。
流れる景色は色を失い、ただ、私と西門さんとバイクの振動だけがにぎやかな色をぶちまけながら痕跡を残して進む。
心臓を押し付けると、ドキドキした思いが口から飛び出そうになり何度も飲み込んだ。
きつい姿勢から早く解放されたいのに、どこか温かく満たされてくる思いは何だろう?
まだこのままでもいい不思議な気持ちは一体何だろう?
バイク音のトーンが低くなり、スピードが落ちた。
そして、薄黄色のタイルで覆われた区民センター前で停車した。
「お前、抱きつきすぎ。」
半分振り返りながら言う西門さんは、ヘルメットの下であきれた顔してるのかな?
ダークグレイのアイガードの下は、どんな表情なのかさっぱり見えない。
「ご、ごめん。だって、落っこちないように無我夢中で・・・。」
「ククッ、まあ、そのうち慣れるだろうから・・・。」
「えっ?」
「中だ。 行こう。」
黒いサラ髪を掻きあげながら、入り口に向かう男の背中にまだ温かな名残を感じながら、引きこまれるように付いていった。
つづく -
shinnjiteru24 24.
どこにでもあるような3階建ての古い区民センター。
西門さんが言っていた茶碗が、まさかここにあるのだろうか。
前を歩く男は、さも勝手知ったような足取りで階段をズンズン上っていく。
2階にあがったところに開けたスペースがあって、来訪者が団欒できるようにテーブルが置かれていて、壁伝いにショウケースが並んでいる。
「こっちだ。」
西門さんが、振り向き声かけてきた。
「ここに、例のお茶碗があるの?」
返事の代わりに静かに頷き、中央ショウケースへと先を歩く。
それは、他のと同じ質素なアルミとガラスのショウケースで、西門さんが原稿に選ぶほどの美しさを放っているかと聞かれれば甚だ疑問な展示品。
近づいてみても、役目を終えたガラクタのような、薄茶色の罅(ひび)の入った冴えない茶碗だった。
「これが・・・、これが、西門さんのお気に入り?」
「ああ。原稿に書くのは、俺が選んだ茶碗でいいんだろ? 」
「まあ、そうなんだけど・・・。 ねえ、どうしてこれが特別なの?」
「昔、英徳の幼稚舎3年の時、社会科見学でここにやってきて見つけたんだ。
わざわざ何で、こんなの飾ってんのかってスッゲー不思議に思った。
罅(ひび)入ってんだぜ、普通、捨てるだろう?
そん時、ここの職員が、これは罅があるからこそ価値あるんだぞって言うわけ。
そういわれても、罅割れたのなんか、それまで見たこと無かったし、頭ん中は?はてなマークでいっぱいだったな。
まあ、それが俺の探究心の始まりってこと。
考え始めたきっかけっつうか、一番最初に興味を持った器だ。」
「ふーん、そうだったんだ。
クスッ、その職員さんの一言が、西門流次期家元に影響与えたって知ったら、びっくりするよね。ちゃんと、お礼言っとけば?」
「ああ、時々ここへ来て、茶を教えてるから。
西門流が、ここの茶道全般の世話してる。ずっと、常設展に残して欲しいからな。」
「うわっ、個人の嗜好を公共施設に押し付けてんの!
でも、実際、これが本当にそんなに価値あるの?
私が言うのも変だけど、華が無いっていうか、どうもパッとしないじゃない。」
「これは、江戸中期の古萩茶碗。 まあ、飛びぬけたところはない茶碗だな。
茶道が確立されるまでには、様々なうねりが何度も起こったのは勉強しただろ?
茶道具の価値観だって、時代とともに激しくかわって、経済が安定するにつれ、完璧なものより不完全なものが粋だという風潮が裕福な人々に流行った。
歌麿、覚えてるか?前に、類に資料を頼んだことあったな。
あの斬新な艶っぽい絵が流行り出したのと同じ時代背景だ。
まあ、茶道具ばかりは、賛否両論だったみたいで長くは続かなかったが。
多分、これは当時の貴族の家に飾ってあった物なんじゃないか?
牧野、茶道具の価値観って誰が決めると思う?
例えば、千利休が素晴らしい茶碗だと言えば、その茶碗は格段に価値が上がって、珍重された。
陶芸には素人でも、茶道の代名詞とも言える人物が語れば、それが絶対的だったんだ。
それって怖いと思わないか?
価値観には、定規みたいに計るものさしが無いだろうが。
時には、人の目だけでなく心まで惑わす。
誰の価値観を信じる?
人々は・・・結局、その道の頂点者へ伺いを立てる。」
「 ・・・ 」
小学校3年生から、そんなことを考えていたの?この人は・・・。
体験学習の時間、西門さんの他に、誰が冴えない茶碗に目を向けただろう。
9歳の男の子といえば、教室と違う状況に興奮して、お友達とふざけて注意されるのがせいぜいオチ。
まあ、F4の幼少時代って、なんか4人ともズレてそうで笑えるけど。
真剣な横顔の西門さんに、なんて声をかけてあげればいいかわからなかった。
西門さんは、きっと本当に怖いと思っている。
西門さんが美術品に寄せる執着心は、好きだからを飛び越してすごいと思う。
色んなことを知っていて、わかりやすく教える術もすごいと思う。
それでも、卓越した知識に奢ることなく、ひたすら学び続ける理由が、己の怖じける心、いわば、姿が見えないお化けと対峙する唯一の方法だからだ。
価値観って、最終的には人それぞれのもので、私だってしっかり持っていたいと願ってる。
けど、別に人に迷惑かけなければどうだっていい。
自由でいいじゃない。
出版会社に勤めてから、自己陶酔する自称芸術家に何人か出会ってきたよ。
けど、西門さんは由緒正しい次期西門流第16代目家元となる身。
押しつぶされてもおかしくない重責であり、歩く芸術品へと昇っていく身。
それが、いかほどのプレッシャーなのか理解しようとして、クラリと眩暈がした。食い入るように西門さんの横顔を見つめた。
涼しげな瞳に茶碗がどう映っているのだろうか?
私には、想像もつかない。
温かな背中に、そんなに重い物をいつも背負ってるの?
鑑賞される物と鑑賞する人の間に生まれる静かな緊迫感。
選ばれた人が持つ、何かを引き出す濃い空気に吸い込まれそうだった。
まただ、銀色に光る瞳に心を奪われそうになる。
凡人の私には、完璧なほどシャープで美しい西門さんのその鼻梁の方が、人に見られる価値があるように思えてならなかった。
「牧野、俺の顔になんかついてるか?焦げそうなんだけど・・・。」
「 /// 。」
「ククッ、題材はこれで文句ないよな?」
「/// う、うん、もちろんよ!
じ・じゃあ、私・・・ここの管理人と話してこようかな~。
掲載の承諾やら写真撮影のことなんかあるし。
どこに行けばいい?」その後、管理人と話し、西門さんが仲立ちしてくれて、詳しい日程までトントン決まり、やるべき事を片付けた。
外へ出ると、ドキドキさせる例のマシンが待ってくれていた。
一度乗せてもらっただけなのに、なんだか不思議と愛着を感じ、微笑みながらよく待ってたねって撫でてあげたい。
バイクって、ペット感覚かもしれない。
「牧野、飯行こうぜ。 乗れ!ほい、メット」
「うん!」 一際大きな声で返事する。
「食いたいもんあるか?」
「う~ん、麺類とかかな。」
「了解。」
そして、バイクは再びエンジンを吹かして走り出した。
二度目だから、さっきより上手く乗れてるはずで、快適に感じる。
再び、背中にしがみつくと、案外肩幅がガッシリ広くて、乙女心がじんわり顔を出す。
ちょっぴり心臓がバクついて、口の中でとろりと溶ける甘い綿菓子を食べてるような気分がする。
眉目秀麗な青年であり、芸術全般知識は豊富、会話上手で前途有望とくりゃあ、世の女性が黙って見てるわけないよね。
モテるのは、万人納得するよ。
そりゃ、努力しなくても向こうから寄って来るわよね。
西門さんに選ばれる人って、どんな素敵な人なんだろう。
彼女だったら、バイクにいつでも乗せてもらえるんだろうか。
『 ?! 』
いやいや、私は何を考えてる?
こんな近くにいると、何やら甘い気分が広がって、勘違いしそうになるよ。
まったく、西門マジックもそこそこにしてもらわないと・・・。
つづく -
shinnjiteru25 25.
柔らかなグレイッシュブルーの絨毯が引きつめられ、白と黒でまとめられたテーブルセッティングは、モダンで優雅だ。
着飾ったお客さんと黒スーツの給仕がいるお店。
入り口にはイタリア語と日本語の立派な写真と表彰状が飾られてあった。
きっと、有名シェフがいるお店なのだろう。
「ねえ、私、麺類ってリクエストしたよね?」
「パスタでいいんだろ?」
「・・・ほ~ぅ。」
肩からガックリ力がぬける。
麺類といえば、ガヤガヤした中で食べるもんだと思ってたよ。
生活レベルの差は、こういうところに出るものかと勉強になるわ。
私の頭にあった麺類店の汗まみれの親父が頭の中で手を振っている。
おじさん、また今度ね~。
「何?この店、気にいらなかった?」
「いいえ、結構ですとも。 こうなったら、何でも。」
「ホントにいい?ここで?」 首を斜めにかしげる西門さん。
「はいな。今日は、お礼にご馳走するつもりですから、遠慮なく選んで!」
「クッ、いいって、無理すんなって。」
「だって、西門さんのお陰で、担当ページに目処(めど)がついたし、今日一日空けてもらったしさ・・・忙しいとこ。」
「じゃあ・・・、上手くいったら、俺のおねだり聞いてもらおうかな~。」
「それ、怖すぎ。 そりゃ、大学時代よりましだけど、上限低いよ。」
「無理は言わないから、だいじょ~ぶ。」
西門さんからのおねだりなんて、全く想像がつかないよ。
メニューに目を通し始める西門さんが上機嫌なのは、さては良からぬことを思いついたか・・・?
こんな風に金持ちが愉快そうに企む場合は、経験上、たちが悪いものだと知ってる。
一人悶々と考えながら睨みつけても、意に介さない目の前の男をどうしたものか。
「なんだよ、ブスッとして。 何をおねだりされるか、そんなに気になる?」
「うーん、どっちかというと、気色悪い。」
「フッ、残念、まだ内緒。 心配すんな!すぐに分かるって。」
西門さんが口を割る気にならない限り、私の力で聞き出すことは無理なのは火を見るより明らかなこと。
諦めは心の養生、西門さんに立ち向かうのは、愚の骨頂。
白旗を揚げ、そそくさとメニューを開き、筆記体に続く日本語に集中することにした。
ワインの代わりにスパークリング・ウォーターを口に含みながら、社会科見学で訪れた日のことをポツリポツリと話してくれた西門さん。
西門さんの口から、幼少時代のことを聞くのは、今生庵の話についで二度目。
秘密をこぼしてくれてるみたいで、もらさないよう黙って聞いた。
それでも、もっとたくさん聞きたい。その日の区民センター訪問は、お年寄りと昔遊びをするのが目的だったらしく、Y字型の小枝を使ったパチンコ作りに圧勝したのが花沢類だったそう。
手先が器用な彼らしい。
でも、一番遠く飛ばせたのは道明寺で、二番が花沢類。
美作さんは、お婆さんにずっと手を握られていたらしくて、西門さんはたくさん折り紙を折ってプレゼントしたって・・・。
女性職員と手をつないでいたんじゃないの?
英徳幼稚舎時代、妬けるくらい仲良かったF4の話は自分のよりずっと楽しそうに聞こえる。
一緒に過ごした時間だけ共通の想い出があって、そのまま大きくなった貴方達4人がうらやましいよ。
そういえば、道明寺の家のマントルピースにチビF4の写真がデカデカと飾られていたっけ。
「ねえ、西門さん家にもその頃のF4の写真って飾ってるの?」
「司ん家にあるみたいなやつか?
あんなに引き伸ばして飾ってんのは、あいつん家だけだろう。
姉ちゃんと二人きりでさびしかったんじゃねえ?」
『・・・だから、あんなに愛情表現下手になったんだ・・・』
「司のやつ、今頃どうしてるんだろうな?」
プレートからゆっくり目線をあげ、確認するようにしっかり相手を見据えてくるが、魅惑的な涼しげな瞳はあくまでさりげない。
「年末に電話あったけど、ホリデーシーズンだから仕事片付けるって天邪鬼なこと言ってたよ。」
「それだけ?」
「それだけって?」
「話があるからかけてきたんじゃねえの?」
「べ・べつに話す事なかったしさ。 」
「お前じゃなくて、司の方に。」
突然、道明寺に『お前、好きなやつできたのか?』って聞かれ、無性に落ち着かなくなって、挙句にきまづいまま電話を切ったなんて言えないよ。
「・・・と・とくには変わった話もせず、世間話だけで切ったから。
あのさ、道明寺は仕事が恋人みたいなもんでしょ。
西海岸にある大手食品会社の吸収合併も成立したみたいだし、毎日充実してるんじゃない?
仕事ばっかりしてないで、ちゃんと休息とればいいのにね。
あいつ、ずいぶん、先に行っちゃったね。
昔の馬鹿な道明寺がうそみたい・・・。」
「牧野は、後悔してねえんだな?」
「私は後悔しないために、わざわざNYへ行ったんだよ。」
「そうだったよな・・・。」
口角を上げて、微笑む西門さんの瞳が揺れる。
なおも、私を捉え続ける瞳にどう応えていいやら落ち着かなくなり始めると、西門さんが視線をはずしてくれた。「牧野に渡すものがあるんだ。」
「 ? 」
「誕生日ずいぶん過ぎちまったけど・・・。左手出して。」
言われるとおり、テーブルの下から手を出して、胸の前へ伸ばす。
西門さんの手には、海の色を思わせるグリーンがかったエメラルド・ブルー色したベルベット地の小袋が握られていた。
若い女の子なら、一度は誰もが憧れるブランドの袋だ。
そして、その小袋から現れたのは、全体がスパイラル状に捻られた金色x銀色のバングルで、砂糖菓子のように私の心を掴みキラキラ光っている。
西門さんの手によって、留め金がはずされ、パカリと口を開けられ、そっと私の腕を収めた後、
“ カチリ ”
と小さく音を立て閉じられる。
そのバングルは、再び綺麗な輝きを持つ完全な輪になった。
私の腕を閉じ込めたまま・・・。そして、魔法がかけられる。
宛(さなが)ら、お城の王子様が舞踏会でダンスを申し込むように、西門さんが私の指先を掬い取る。
腕のバングルを賛美した瞳は、その彫刻作品のような成り立ちの中、私を映し出す。
形の良い鼻筋から左右に伸びる美眉は、その成りの品格を示し、口元は歌うように優しく甘いのに、微かに動いた眉端は妖気をふりまき、ドキリと鼓動を乱れさせた。
至極整った顔立ちは、魔力を持つのか、抵抗を砕く最高の武器になる。
私の中で深く眠っていた甲を求める乙の本能が、ピクピクと触覚を立て起き上がる。
かつて、さんざん受けてきたひやかしやからかいの瞳と別物の、ほとばしるような熱い瞳で覗き込まれ、媚薬をかけられたように体の感覚を奪っていく。
周りの空気ごと切り取られ、四方八方から押され、息苦しく感じ始めたひと時。
黒いサラ髪の奥から見つめる深い瞳は、妖しく魅惑的に銀色めいて、現実感のない世界へ引き込み、もう戻れない錯覚を呼ぶ。
時間にしたら、数秒だったかもしれない。
美人は三日で飽きるといわれる。
男前だってそうかもしれないけれども、ずっとこんな風に見つめられるのなら、このまま化石になってもいいと思った。
息を吸うのも忘れて、指先のぬくもりが離れないように懇願した。
「おめでと。 ・・・牧野をつかまえた。」
「 んなっ・・・・・????? 」
言葉の意味が飲み込めず、頭の中はパニック状態。
ゴクリと唾を飲み込んで、言葉を搾り出した。
「・・・ど・・どういう意味?」
「牧野を手錠でつないどくことにする。
そのままの意味だけど・・・。
深く考えるな。
うちに帰って、ゆっくり考えろよ。」冷や水を浴びせられ我に返るものの、さらに、頭の中は混沌としてわけがわからなくなった。
手錠でつなぐってどういうこと?
普通に考えてわかんないから、深く考えてるんじゃない。
ゆっくり考えろ?
何なの?暗号?
解読は、降参!無理です!
やっぱりこの男、私で遊んでる?
肝心な時、いつも理解不能。
一度、西門さんの脳みそをかき混ぜて、素直な並び方に変えたいよ。
今回のは、新手のからかい?
「は~、西門さん、本当に止めてよね!」
「なんで?」
「なんで?って・・・。
誕生日プレゼントなら、普通に渡してくれたらいいじゃん。
変な言葉くっつけるから、もらいにくいよ。」
西門さんの揺ぎない瞳が、わずかに曇り陰りがさす。
「なあ、牧野、お返しだから、とにかくもらっとけ。
気に入ってくれたら、嵌めてくれればいい。」
「 ・・・・ う・うん、わかった。 ありがとう。
こんな高価な物、もらっていいのかな・・・。
私は、お湯呑みしかあげなかったのに。
じゃ、来週のチョコ、期待しておいてね~。」
「あぁ、バレンタインか・・・。」
「その日は無理かもしれないから、前日に渡すからね。
ごめんね、周君と約束があるんだ。」
「 ・・・っ!? 」
「東北にある鉱石博物館に行くの。
“土と陶芸の切れない関係“っていうBD企画講演があるらしくて、何も用事ないなら行こうって誘われて。」
「 ・・・ 行くなよ。」
「うんっ?」
口に含んだ紅茶をゴクリと嚥下した。
「 ・・・・いや、 忘れて行くなよって。」
「何を?」
「折角だから、バングルつけて行けば?
なあ、牧野、・・・ふぅ~。
とにかく、忘れて行くなよ。」
「う・うん・・・そうだね。 西門さんがそうして欲しいなら、持ってくよ。
なんか、お守りみたいだね。」
つづく